ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「紙コップに入れた小便を…」ベビーフェースの武藤敬司が“極悪非道”のグレート・ムタに目覚めた原点「初めてエクスタシーを感じたんだよ」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2022/08/30 17:00
武藤敬司の“悪の化身”として活躍したグレート・ムタ。1990年9月14日の馳浩戦にて
「紙コップに入れた小便をかけられ…」
「俺はフロリダに入った当初は、まだ無名だったからなかなか試合が組まれなかったんだけど、ある時、負傷欠場したレスラーの代打で、デニス・ブラウンってヤツと(NWA世界ジュニア)タイトルマッチやったんだよ。結果はオーバー・ザ・トップロープで反則負けだったんだけど、その時、アメリカで初めてムーンサルトプレスを出して、お客がすごく沸いて、そこからベビーフェースとして売り出されるようになったんだ。
その数カ月後、フロリダに桜田(一男=ケンドー・ナガサキ)さんが来て、地元の大スターであるワフー・マクダニエルとシングルマッチをやったんだよ。それで桜田さんが反則でワフーを痛めつけているところに俺が乱入してさ。観客はみんな『ニンジャがワフーを助けにきた!』と思った次の瞬間、ベビーフェースのトップを裏切ってヒールの桜田さんに加担してワフーを攻撃したら、ものすごい罵声とブーイングが飛んでね。
最後、控室に戻る時はモノを投げつけられるは、紙コップに入れた小便をかけられるは酷い目にあったけど、自分のアクションひとつでここまで観客をヒートさせたことで、この時、初めてリング上でエクスタシーを感じたんだよ。『これがプロレスか!』って、俺がレスラーとして開眼するきっかけが、あの時だった気がするな」
こうしてヒール転向をはたした後、武藤はフロリダだけでなく、プエルトリコ、テキサス州ダラス、WCWと各地でトップヒールとして活躍。そして1990年に凱旋帰国した後、新日本で新たな“極悪ヒール”グレート・ムタを作り上げたのである。
グレート・ムタ日本初登場から早32年。その間もムタは常に進化を続けてきた。“魔界”に帰る日が近づく中、9・3エディオンアリーナ大阪では、ヒールとしての一つの集大成的なプロレスをきっと見せてくれることだろう。
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