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“初の女性棋士”を目指す里見香奈女流五冠につながる潮流… 女流棋界発足の功労者は大山康晴十五世名人だった〈女流棋士48年の歴史〉
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/08/16 11:02
プロ編入試験への挑戦を決め、会見に臨んだ際の里見香奈女流五冠
1980年代に入ると、中井広恵(女流六段)、林葉直子(女流五段。後年に将棋連盟を退会)、清水市代(女流七段)らの若い女流棋士の活躍によって、さらに盛り上がった。中でも林葉は、芸能人のような美貌と作家という別の顔もあり、メディアに大いに注目された。
女流棋士がプロ公式戦に初出場したのは1981年の新人王戦。棋戦担当者が「勝負は二の次です。その制度を開いておくことが、将来の将棋界にとって大きな意味を持ちます」と将棋連盟の理事に熱心に説き、その主張が通って実現した。
その後、女流棋士が出場するプロ公式戦は次第に増えていった。しかし、棋士と女流棋士の実力の違いは歴然としていた。1981年の初出場以来、女流棋士たちは12年間で何と38連敗もした。
念願の初勝利は1993年の竜王戦。中井女流名人が池田修一六段に勝った。その快挙はNHKニュースで速報され、社会的にも注目された。
女流棋士が若手精鋭棋士に勝つのも珍しくなくなった
そんな話も、今は昔。女流棋士が若手精鋭の棋士に勝つことも珍しくなくなった。
2003年には中井女流三冠がNHK杯戦でA級棋士の青野照市九段に勝ち、2013年には甲斐智美女流王位が王位戦でタイトル経験者の深浦康市九段に勝ち、ともに殊勲を挙げた。
2006年12月に女流棋士会の臨時総会で、新団体の結成が協議された。実は、以前から待遇改善を求める声が多くあり、将棋連盟からの独立が画策されていた。その後は残留と離脱をめぐって、水面下でいろいろな動きがあった。そして2007年4月、56人の女流棋士のうち、39人が連盟に残留し、17人が離脱を表明した。
2007年5月に新団体の「日本女子プロ将棋協会」(LPSA)が結成され、17人の女流棋士が参加した。
将棋連盟会長の米長永世棋聖は「新法人とは、いい意味で競い合う友好的な団体だと信じています」と見解を述べた。
その後、連盟とLPSAの関係が悪化した時期があったが、現在は良好になっている。
写真は、2014年に開催された「女流棋士発足40周年記念パーティー」の光景。連盟に所属する45人の女流棋士(欠席6人)が壇上に並んだのは壮観だった。挨拶した羽生善治名人は、女流棋界の発展を祝福した。私はトークショーで、女流棋士制度が発足した経緯を語り、「陰の功労者は大山十五世名人」と力説した。