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「あれだけの将棋の天才でありながら…」「短い生涯を酒と女に使いきった男」“賭け将棋”で無双したアマ名人の壮絶すぎる44年間
text by
小島渉Wataru Kojima
photograph byKYODO
posted2022/08/14 11:02
「新宿の殺し屋」小池重明(1947~1992年)。賭け将棋からアマ名人までのし上がった男の壮絶な44年間とは?
「ネットの記述を見ると大山会長が激怒して、私が将棋連盟に罰金を支払ったと書いてあるんだけど、実はそんなことはなくて。むしろ大山先生は優しく私を迎え入れてくれたんですよ。『森君、残念だったねぇ』と。私は将棋連盟に申し訳なく思い、対局料の半額を将棋界のために寄附したいと大山会長に申し出て、それを受理していただいたのです」
※(『NHK将棋講座2021年5月号付録・保存版 別冊! 森けい二 レジェンド・ロングインタビュー(2)』より)
三番勝負の直前、森は小池と練習将棋を指して平手で楽勝だったこともあり、負けるわけがないと思っていた。それが対局当日にボロボロの身なりで登場され、角落ちで逆転負けして頭に血が上った。アマプロで棋士が負けてはいけないの思いもあるなか、妙に粘り強い将棋を指されては焦って平常心ではいられない。これがアマプロ戦の怖さだろう。もし小池が同じプロなら、森も妙なプレッシャーを感じずに一蹴していたのではないか。
「あれだけの将棋の天才でありながら…」
35歳になった小池は、たまたま広島の将棋大会から帰る新幹線で日本将棋連盟会長の大山十五世名人と一緒になった。話の流れでプロ入りをしたいなら師匠を探して申請するようにいわれ、喜んで書類を連盟に提出する。だが、この申し入れは受理されなかった。棋士総会では素行が問題視されて大反対にあい、将棋連盟機関誌『将棋世界』や新聞、週刊誌に寸借詐欺で多額の借金があることが次々に報道された。アマチュア将棋界からも追放され、小池は東京から名古屋に逃げ帰り、駒をまったく触らずに日雇いの土木作業員で2年間働く。ふとドヤ街の生活がつらくなって東京に戻り、作家・団鬼六に世話になった。将棋の実力は衰えておらず、団が当時のアマ名人、元奨励会三段のアマ王将、現役奨励会三段と指させても、相手にならなかったそうだ。
やがて、小池は新宿時代の道場オーナーのツテで茨城県の焼肉店の店長になるも、半年でホステスの人妻と駆け落ちし、売上とオーナーの新車を奪って逃走する。今度こそはとトラックの運転手として一生懸命に働くが、長年の飲み過ぎと過労により食道静脈瘤破裂で入院。退院して公式戦でプロに3連勝していたアマチュアに2連勝するも、体だけはどうにもならなかった。入退院を繰り返し、最後は茨城県の病院で自らパイプ管を引きちぎってこの世を去った。享年44歳。団は『真剣師 小池重明』の最後をこう締めくくっている。