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「曙が若貴兄弟を吹っ飛ばし、ファンの夢を打ち砕いた」瞬間最高視聴率は驚異の66.7%…“最強のヒール”が輝いた伝説の名古屋場所

posted2022/07/21 11:01

 
「曙が若貴兄弟を吹っ飛ばし、ファンの夢を打ち砕いた」瞬間最高視聴率は驚異の66.7%…“最強のヒール”が輝いた伝説の名古屋場所<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1993年、二子山部屋に出向き貴ノ花相手に激しい稽古をする曙。同期入門(花の六三組)の若貴兄弟にとって最大・最強のライバルだった

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荒井太郎

荒井太郎Taro Arai

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 名古屋場所と言えば、力士たちは対戦相手以外に酷暑とも戦わなければならない。過去には多くの平幕優勝が出ているが、体調管理の難しさもその大きな要因の1つなのかもしれない。

 昭和33年に名古屋場所が本場所に昇格し、今年で64回目を迎えるが(令和2年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京開催)、平成5年は7月4日の初日から18日の千秋楽まで、名古屋の最高気温が30度に達した日は1日もなく、同場所の代名詞である猛暑とは最も無縁の奇跡的な夏だった。

 場所前の6月にはハワイ、アメリカ巡業が行われたが、力士たちはそんな疲れを全く感じさせず、十両以上の休場者はゼロ。熱戦が多かったのも例年に比べ、過ごしやすい気候だったからかもしれない。

“若貴ダブル昇進”の可能性に沸いた29年前の夏

 涼しい名古屋場所でひと際、闘志を燃やしていた力士がいた。横綱3場所目の曙だ。前場所は初日から12戦勝ちっぱなしで横綱初優勝も目前としていた曙だったが、13日目は関脇若ノ花(のちの若乃花)の叩き込みに屈し、1敗で大関貴ノ花(のちの貴乃花)と並ぶと千秋楽の相星決戦では寄り倒しに敗れ、掴みかけた賜盃は20歳の大関のもとへ。優勝して故郷・ハワイに凱旋という目論見は見事に“若貴”によって打ち砕かれたのだった。

「自分は横綱。勝たなければならない。横綱になって3場所目。やはり優勝しないと本当の横綱と言えないと思う」

 賜盃への思いを一層、強くして臨んだ冷夏の名古屋場所は、若ノ花が大関取りに挑み、貴ノ花も史上最年少横綱にリーチを懸け、“若貴ダブル昇進”というこれ以上ないホットな話題で持ち切りだった。

 国民的人気を誇った元大関初代貴ノ花の息子として生まれた兄弟は、やがて父親のもとに弟子入りし、「親子」は「師弟」となった。元人気大関の息子として、幼少時から注目を浴びてきた2人は、今や伝説となった猛稽古によって、国民の期待どおりに順調な出世を遂げ、不動の人気も確立していった。

【次ページ】 曙と若貴兄弟、三つ巴の優勝決定戦へ

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