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ソウル大学卒のエリートはなぜ“ショーダンサー”に? バーレスク東京・ラムが語る“異色の経歴”「ポールダンスが一番楽しい」《特別グラビア》

posted2022/07/28 17:00

 
ソウル大学卒のエリートはなぜ“ショーダンサー”に? バーレスク東京・ラムが語る“異色の経歴”「ポールダンスが一番楽しい」《特別グラビア》<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

ソウル大学卒という経歴を持ち、バーレスク東京ではセンターダンサーとしても活躍するラムさん

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NumberWeb編集部

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Takuya Sugiyama

2011年のオープンから人気を博し、六本木の夜を彩るショークラブ・バーレスク東京。100名近い女性ダンサーが所属し、音楽とともにきらびやかな衣装で踊る“異空間”に、老若男女問わず、多くの客が訪れている。

幼少期からクラシックバレエを学び、韓国の名門・ソウル大学を卒業した“異色の経歴”を持つ人気ダンサーのラムさんに、「彼女がバーレスク東京で踊る理由」を聞いた。《特別グラビアインタビュー/元楽天イーグルスダンサーの歌姫「Mii編」へ》

3歳から始めたクラシックバレエ

――現在はダンサーとして、バーレスク東京では「クイーン」(※センターダンサー)も務めるラムさんですが、ダンスとの出会いはいつ頃だったのですか?

ラム 3歳からクラシックバレエを始めました。最初は友達と“遊びに行く”程度の感覚で、その頃は将来ダンサーになりたいなんて思ってもいませんでした。

――そこからどんなふうにのめり込んでいったんですか。

ラム 本気でバレエをやりたいと思ったのは小学3年生の時。同じスクールの先輩がアメリカの有名なスクールにバレエ留学に行くのを聞いて、私も行きたい! って(笑)。さすがに小学生だから留学はできなかったのですが、そのスクールの姉妹校が韓国にあったので、小学4年生から6年生まで、毎年夏休みには韓国に行ってレッスンを受けました。

 その流れで、中学・高校は韓国の学校をバレエで受験して、進学することになりました。

韓国での“ダンス留学”の過酷な生活

――子供の頃から、すごい行動力ですね。韓国での“バレエ留学”はどんな生活だったんですか?

ラム 仙和芸術学校というところに進学したのですが、ここが本当に厳しくて(笑)。普通の授業に加えてバレエの授業があり、個人レッスンも含めたら家に帰れるのは夜9時頃が当たり前。半年に一回の“実技テスト”の順位によって発表会のポジションが決まるので、子供ながらすごい競争社会で、バレエ一筋の生活を送っていました。

――高校ではコンテンポラリーダンスを専攻されたとか。

ラム 中学の3年間で身体を痛めてしまって……。トゥシューズで足はボロボロでした。まわりの子は線も細くてすらりとしている子が多いのに、私は背も低いし、思春期だったこともあり体型も変わってきて、「バレエはこのまま長く続けられないだろうな」と感じたんです。

 新しく出会ったコンテンポラリーは、バレエの基礎を生かしながら、より自分の表現したいことを表現できる、自分に合ったダンスだと思いました。高校時代はコンクールでいくつか賞をいただくこともできました。

名門・ソウル大学からバーレスク東京へ

――そこから名門・ソウル大に進学されるわけですね。

ラム 高校の先生たちにも、「チャレンジする気があるなら、行ってみたら」と背中を押されて。学業の成績に加えて、韓国語の認定試験などもクリアして、体育教育科に入学することができました。

 ラグビーやサッカー、水泳など、いろんなスポーツの授業を受けながら、部活動で舞踊を続けて、コンクールなどにも出る生活を送っていました。

――名門校に通う、まさに“エリートダンサー”だったと思いますが、卒業後の進路についてはどのように考えていたのですか?

ラム 本当は韓国の舞踊団に入ろうと思っていました。でも、私は韓国では外国人という扱い。日本人だからという理由で、マイナスな目で見られることもあったり……。それで将来について迷ってしまっていた時に、母が勧めてくれたのがバーレスクだったんです。

【次ページ】 母から勧められたバーレスク「やってみたら?」

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