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熊本を席巻“あの秀岳館旋風”の影響…ライバル九州学院の監督&OB「オールジャパンみたいなチームだった」「3人一組でデータ班を作って…」 

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樫本ゆき

樫本ゆきYuki Kashimoto

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posted2022/07/13 11:00

熊本を席巻“あの秀岳館旋風”の影響…ライバル九州学院の監督&OB「オールジャパンみたいなチームだった」「3人一組でデータ班を作って…」<Number Web> photograph by Yuki Kashimoto

ヤクルト村上宗隆の母校で弟の慶太(中央)が4番に座る九州学院は2015年以来の甲子園を狙う

 現チームの4番には弟(三男)の慶太がいるだけに注目度は増している。5月下旬には、春の県大会優勝に続き、「夏の前哨戦」と言われるNHK旗で5年ぶりに優勝し、第一シードで頂点を狙う。平井監督は「とにかく一戦必勝。油断はしない。やることは一緒」と、多くを語らず、周囲の過熱ムードを冷静に受け止めている。

あの秀岳館旋風…「オールジャパンみたいなチームだった」

 九州学院にはかつて「最強時代」と言われた2つの時代があった。

 第1ブレークが1998年~2000年。夏の甲子園で2打席連続本塁打を打った吉本亮(ソフトバンク二軍打撃コーチ)の代から始まった熊本初の夏3連覇の時だ。当時、熊本工も成し遂げていなかった偉業を果たし夏将軍と呼ばれた。3連覇にちなんで坂井前監督が両手の指を「3本」掲げて胴上げされている写真は、熊本の球史に残るワンシーンとなった。

 第2ブレークは、10年夏(甲子園8強)~12年春(センバツ16強)の時代。大塚尚仁(元楽天)、溝脇隼人(中日)、萩原英之(元ヤマハ)を擁し、12年センバツ2回戦で大阪桐蔭に3-5と善戦した。エース大塚が6回に公式戦初被弾となる逆転3ランを笠松悠哉(ヤマハ)に打たれたが、藤浪晋太郎(阪神)―森友哉(西武)のバッテリーと互角の投げ合いを見せた。

 しかしそこから九州学院は鳴りを潜めることになる。そう、秀岳館の旋風だ。「3年で全国制覇」を掲げた鍛治舎巧監督(現県岐阜商監督)が熱風のごとく熊本の勢力図を変え、16年春から4季連続甲子園出場(うち3季連続4強)。県勢初の日本一をも予感させた。16、17年決勝で2度敗れた坂井前監督は「九鬼(隆平/ソフトバンク)君、川端(健斗/野球継続中)君、田浦(文丸/ソフトバンク)君。オールジャパンみたいなチームだった。そんなチームとの対戦は燃えたし、楽しかった。あの3年間で熊本のレベルは間違いなく上がった」と振り返る。17年の主将だった村上宗隆は「東の清宮、西の村上」と言われ注目されたが、川端健斗―田浦丈丸(ソフトバンク)のW左腕に1安打3三振に抑えられ涙を呑んだ。熊本が最も熱かった時代だ。

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