甲子園の風BACK NUMBER
熊本を席巻“あの秀岳館旋風”の影響…ライバル九州学院の監督&OB「オールジャパンみたいなチームだった」「3人一組でデータ班を作って…」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byYuki Kashimoto
posted2022/07/13 11:00
ヤクルト村上宗隆の母校で弟の慶太(中央)が4番に座る九州学院は2015年以来の甲子園を狙う
4番はヤクルト村上の弟…「プラスに変えて、吹っ切っています」
あの夏から5年。宗隆と同じ左バッターで、顔も体格もよく似た弟・慶太が4番に座り、ファーストを守っている。プロも注目する選手だが、まだ非力。本塁打の数も兄の52本に対し慶太は8本と、力の差があることは本人も十分理解している。「自分が下級生のころは宗にぃ(宗隆)と比較されるたびにメンタルやられて病みました(笑)。だけど今はそれもプラスに変えて、吹っ切っています」と笑顔で話す。園村主将は「慶太はお兄さんのことで自分が注目されることをポジティブにとらえて、向上心を持って練習に取り組むようになった。誰よりも九学愛が深い選手。何としても一緒に甲子園に行きたいです」
2日間にわたって約10年ぶりに九州学院を取材したが、フレンドリーな選手間のコミュニケーションや大人に対する人懐っこさは健在だった。秀岳館の強さは圧巻だったが、グラウンドに来ていたOBの話によると「秀岳館の勝利への執念はすさまじかった。3人一組でデータ班を作って全会場全試合のデータを取っていました。あの執念を見習うことも大事ですが、九学は九学で受け継がれている良さを残して欲しい」。
平井監督は、九州学院でおおらかに育ち、プロで大飛躍を遂げた村上宗隆のように「地元の子どもたちに夢を与える選手が、これからも九学から誕生して欲しい」と願っている。もちろん、その先にあるのは「王者復権」の四文字だ。中編は、ヤクルト村上はなぜ地元に残って甲子園を目指したのか。父に聞いた。〈中編につづく〉