松坂大輔「怪物秘録」BACK NUMBER

松坂大輔「甲子園を逃した後の地獄の冬」(連載8)

posted2022/07/13 07:00

 
松坂大輔「甲子園を逃した後の地獄の冬」(連載8)<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN

2年時の松坂。高校入学から体重が10kg以上落ちてシャープな顔つきに

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

PROFILE

photograph by

SANKEI SHIMBUN

高校生にとって甲子園に出場するチャンスは計5回。早くも2回の機会を失った松坂は2年の夏に向けて、過酷な練習に励む。その成果は徐々に表れて――。

 松坂大輔、高1の秋。神奈川大会の準決勝で敗れた横浜高校は関東大会への出場が叶わず、春のセンバツが絶望となった。次なる甲子園へのチャンスは2年の夏。1年の冬から2年の春、そして2年の夏へと、松坂の厳しい鍛錬の9カ月が始まった。

◆◆◆

 1年の冬の地獄は予想通りでした。もう思い出したくもない(笑)。僕らが世界一周と呼んでいたアメリカン(ノック)はもちろん、ダービーもキツかった……あの呼び名は競馬のダービーから来てるのかな。ホームベースからスタートして、外野のアンツーカーのところをフェンス沿いに走って、ホームまで戻ってくる。それを何周するかは小倉(清一郎、当時の部長)さんの気分次第なんですけど、とにかく馬のようにひたすら走らされるメニューです。一周のタイムが設定されていて、それをクリアしろと言われるんですけど、何秒以内で3周、次に何秒以内で5周、最後は何秒以内で10周と、すべてをクリアしなければなりません。そのタイムで走れないとエンドレスになるんですが、走れば走るほど体力は落ちますから、エンドレスにされたらいつまでたっても終わるはずがありません。

こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。

残り: 2593文字

NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく
NumberWeb内のすべての有料記事をお読みいただけます。

関連記事

松坂大輔
横浜高校
小倉清一郎

高校野球の前後の記事

ページトップ