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慶応大・柳田将洋、中央大・石川祐希…あの“NEXT4”はなぜ誕生した?「当時は男子バレーが話題にならなかった」逆風の時代に仕掛けた“人気戦略” 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byShingo Ito/AFLO SPORT

posted2022/07/08 17:01

慶応大・柳田将洋、中央大・石川祐希…あの“NEXT4”はなぜ誕生した?「当時は男子バレーが話題にならなかった」逆風の時代に仕掛けた“人気戦略”<Number Web> photograph by Shingo Ito/AFLO SPORT

2014年から男子バレー日本代表を率いた南部正司(右)。現在は男子強化委員長として、代表チームをサポートする

 14年にポーランドで開催される世界選手権出場をかけた9月のアジア予選で、日本は韓国に敗れ14大会続いていた世界選手権への出場を逃す。しかも同日早朝に7年後、2020年五輪の東京開催が決定し、日本中がお祭りムードの中で迎えた最終予選、テレビ中継もされる中での惨敗が与えた負のイメージは強烈だった。加えて、11月のワールドグランドチャンピオンズカップで5戦全敗を喫したことも、始まったばかりの挑戦に影を落とした。

 サトウ監督は「新たな戦力となる選手を招集したい」と次なるシーズンへ向けたリスタートへの意欲を示していたにも関わらず、翌年の14年2月、日本協会はサトウ監督の退任を発表。

 当時の強化委員長はその理由を「アメリカのバレーボールは最高に強い、技術も意識も高い選手がそろってできたバレー。彼の言う通りにできたら、日本は間違いなく強くなったが、現状はそこまで育っていなかった。ゲーリーの考えるバレー、方向性とこれからの日本代表が融合することを期待するのは難しいと判断した」と述べたが、そもそも選手選考すらできていない状況で指揮を執り、何もできない、“させてもらえない”まま、わずか1年での退任劇だった。

 長くバレーボールに携わり、伝統を重んじる立場から見れば「世界選手権に出場できなかったのだから、仕方ない」とも見えるが、同時期にVリーグではヴェセリン・ヴコヴィッチ、パオロ・モンタニャーニ、クリスティアンソン・アンディッシュといった経験豊富な外国人指導者が戦術、技術、意識の面で日本人選手に確かな変化をもたらしていた。初年度の成績は振るわなかったが、史上初の外国人監督であるサトウ監督がどのように日本代表のバレーボールを変えていくのか。大きな期待が寄せられていたからこそ、突然の退任という決定に対する失望は大きかった。

 その状況下の2014年2月、次期日本代表監督に抜擢されたのが南部だった。逆風吹き荒れる中、代表を率いると決意させた理由は何だったのか。

「清水、福澤らがつらそうな顔をして帰ってくる」

「パナソニックの監督となり、日本国内はもちろん、アジアクラブや世界クラブで海外勢と戦ううち、『いつか自分も代表監督を』という思いはありました。前ブラジル代表監督の(ベルナルド・)レゼンデさんとも親交があり、彼からも『自分のバレーは日本に原点がある』と何度も言われる中、現実を見れば世界との差は開くばかり。もちろん選手個々の力、体格の差がないわけではないですが、もっと研究を重ねれば日本代表も絶対に勝てる力はあるはずなんです。

 周りの方からは『こんなに苦しい時ではなく、リオを終えた後で(監督に)就任すればいいじゃないか』と言っていただくこともありましたが、東京五輪の開催も決まり、時間がない。何より、代表の主軸であった(パナソニックの)清水(邦広)、福澤(達哉)、永野(健)が日本代表のシーズンを終えるたび、結果が出せずにつらそうな顔をして帰ってくるのが、所属チームの監督として苦しくもありました。今いる選手のため、日本の男子バレーのために微力でも力になれるなら、と思ったのが、監督に立候補した一番大きな理由でした」

【次ページ】 “4人の大学生”を抜擢、南部の狙いとは?

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