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「那須川天心vs.武尊」へ…過去にもあった“時代を変えた日本人頂上決戦”を覚えているか?「魔裟斗vs.小比類巻は鮮烈だった」
posted2022/06/01 06:00
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph by
Susumu Nagao
那須川天心vs.武尊の大一番が近づいてきた。最前列は300万円で最も安い席でも1万5000円という強気の価格設定ながら、すでにチケットは売り切れ。出場選手にすら希望の枚数が行き渡らないというほどプラチナチケット化している。
普段は交わることがないRISEとK-1のトップ同士がぶつかり合うのだから当然か。まさに頂上対決と呼ぶのに相応しい盛り上がりだが、かつて格闘技界では何度か日本人同士の決戦が時代を彩ってきた。
中量級ではK-1 WORLD MAX旗揚げの原動力となった魔裟斗vs.小比類巻貴之が胸に焼きつく。両者は計3度対決し、魔裟斗が2勝1敗と勝ち越した。中でも'97年5月に全日本キックで組まれた初対決が筆者には鮮烈な印象を残した。
当時はふたりともグリーンボーイだったが、運を持っていた。大会直前になってメインやセミのマッチメークが相次いで中止となったため、当初前座に組まれていた一戦がセミファイナルに格上げされたのだ。
この対決では小比類巻が身長差を活かしたヒザ蹴りで2度ダウンを奪った末に3RKO勝ちを収めた。当時の魔裟斗は不良上がりで気持ちにムラのある選手だったが、この敗北をきっかけに改心。練習に没頭するようになり、日本人選手として初めてK-1の世界の頂きを極めるまで成長した。あの敗北がなかったら、のちの魔裟斗はいなかった。
日本人頂上対決の行方は…
K-1ヘビー級では、'99年10月に行なわれた佐竹雅昭と武蔵による2度目の同門対決(当時はともに正道会館)が記憶に残る。佐竹はダウンを奪うも0-3の判定負け。この敗北をきっかけにK-1を離脱し、PRIDEに活路を求めた。一時期政治家を志した佐竹は現在MMAやK-1とは距離を置く。
昭和まで溯ると、日本人で初めてムエタイ王者になった藤原敏男は沢村忠とのキック頂上対決の機運が何度も高まったが、結局実現することはなかった。その代わりに元ボクシング世界王者の肩書を引っさげて転向してきた西城正三との頂上対決を'73年3月に実現させた。
日本人頂上対決には時代の流れを大きく変える力がある。普段は格闘技に関心を持たない人にもリングに目を向けさせた那須川vs.武尊は、どんな新しい流れを作ってくれるのか。