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「ダービー馬の父」から浮かび上がったトウカイテイオーとウオッカの“ある共通点”…「グレード制導入後3頭のみ」の隠れた偉業とは?
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byKeiji Ishikawa/Hirokazu Takayama
posted2022/05/28 17:03
ともに3馬身差でダービーを圧勝したトウカイテイオー(右)とウオッカ。両馬のダービー制覇の裏には、着差以外にも“ある共通点”があった
ダービーの「常識」を打破したウオッカ陣営の英断
64年ぶり、史上3頭目の牝馬のダービー馬となったウオッカは、2002年のダービーを制したタニノギムレットの初年度産駒で、父仔ともにオーナーブリーダーとして名を馳せた谷水雄三氏の生産・所有馬であった(生産したカントリー牧場代表が谷水氏)。
ダービー出走を決断したこと自体が、陣営のファインプレーだった。
ウオッカと同世代の牝馬にはダイワスカーレットやアストンマーチャンなど強い馬が多く、上がり3ハロンを33秒台でまとめる馬が珍しくないほどハイレベルだった。だから桜花賞で2着に敗れてもダービーに向かったわけだが、それでも、牡馬の壁は高くて強固だと思われた。
ダービーの前、管理調教師だった角居勝彦氏に取材したとき、彼はウオッカを、水島新司の漫画『野球狂の詩』に登場する女性投手・水原勇気になぞらえて話した。感覚としては「スーパー女の子のフレッシュな挑戦」だった。のちに天皇賞・秋やジャパンカップなどを制した姿を知る今になって振り返ると微笑ましくもなるのだが、角居氏は「古馬になって成長した(フサイチ)ホウオー、さらに強くなる(メイショウ)サムソンあたりとやり合うのはキツいでしょうが、3歳春のこの時期なら、成長の早い牝馬が互角以上にやれるかもしれませんよね」とも話していた。
大方のファンも同じように考え、ダービーでのウオッカは、単勝10.5倍の3番人気という支持だった。
それが「常識」に則した見方だった。
しかし、ウオッカはダービーを3馬身差で完勝し、「常識」を打ち壊した。
引退までに、当時の最多タイ記録だったGI7勝を挙げた。が、その一方で、宝塚記念は1.6秒差の8着、有馬記念では2.1秒差の11着に大敗するなど、負けっぷりも派手だった。
寡黙な名手を饒舌にさせた「会心のダービー」とは
2009年のダービー馬ロジユニヴァースは、03年の皐月賞、ダービーの二冠を制したネオユニヴァースの初年度産駒である。
新馬戦、札幌2歳ステークス、ラジオNIKKEI杯、弥生賞と4連勝。それもすべて圧勝で皐月賞に駒を進めた。鞍上は横山典弘。単勝1.7倍という圧倒的1番人気に支持され、好位からいつでも抜け出せそうに見えたが、直線で馬群に呑み込まれて14着に沈んだ。