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植木通彦がいま明かす「ボートレース史に残る名勝負」の裏側とは? フライングで終わった“最後のSG”は「胸が張り裂けそうでした」
posted2022/05/29 11:01
text by
曹宇鉉Uhyon Cho
photograph by
BOAT RACE振興会
植木通彦が現役時代に獲得したタイトルの中でも、1995年の第10回グランプリはベストレースのひとつとして語り継がれている。前年の同レースで、植木は19歳年長のテクニシャン・中道善博に敗れて3着。両者は1995年も優勝戦まで勝ち進み、連覇を狙う中道がボートレースにおいて圧倒的に有利な1号艇、植木は5号艇でピットアウトを迎えた。
「中道さんの方が圧倒的にキャリアは上ですし、もちろん大本命。ただ、あのレースはスローモーションで走っているような感覚がありました。いわゆる“ゾーン”に入っていたのかもしれません」
5号艇の植木は、6号艇の熊谷直樹がコースを取りに行く気配を察知すると、それを制するように回り込んで2コースを奪取することに成功(熊谷は3コース)。一方で、有利なインは1号艇の中道が死守した。
0.1秒差の大接戦「呼吸もしないままターンして…」
植木と中道は、まったく五分の好スタートを切る。当時、インで圧倒的な強さを誇った中道が1マークで完璧なターンを見せ、植木のまくりはわずかに届かずバックストレッチでは2番手。しかし2マークでわずかに膨らんだ中道に対し、植木が内から鮮やかな差しを決めてトップに立った。
「ズバッと音が鳴るんじゃないか、というくらいの差し。でも、あそこからの旋回がさすが中道さんでした」
植木がそう回想するように、“水上の人間国宝”と称された中道もただでは譲らない。2周1マーク、植木に艇をぶつけながらの強烈なターンで再逆転。負けじと植木が2周2マークの旋回で舳先をかける。3周で争われるボートレースだが、トップ争いはほとんどの場合1周2マークまでに決着する。しかしこのレースに限っては、3周1マークを終えても両者の熾烈な優勝争いが続いていた。
ターンのたびに住之江の観客から大歓声が上がる。3周2マークを終えた最後の直線、アウトコースの植木が半艇身ほど前に出て、わずか0.1秒差でボートレース史に残る大接戦を制した。
「相手が中道さんだったからこそ、あれほどの接戦になったんだと思います。最後は呼吸もしないままターンして、少しでも空気抵抗を減らすために頭を下げて……。ゴールしてすぐに手を上げたんですけど、『大丈夫かな』と心配になるくらいの僅差でした。今でもあのレースを名勝負と言ってもらえて、ボートレースがスポーツとして捉えられるひとつのきっかけになったのであれば、これほど嬉しいことはありません」