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植木通彦がいま明かす「ボートレース史に残る名勝負」の裏側とは? フライングで終わった“最後のSG”は「胸が張り裂けそうでした」 

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曹宇鉉

曹宇鉉Uhyon Cho

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photograph byBOAT RACE振興会

posted2022/05/29 11:01

植木通彦がいま明かす「ボートレース史に残る名勝負」の裏側とは? フライングで終わった“最後のSG”は「胸が張り裂けそうでした」<Number Web> photograph by BOAT RACE振興会

現在も「ボートレース史上最高の名勝負」として語り継がれる1995年の第10回グランプリ優勝戦。激しく競り合う5号艇の植木通彦と1号艇の中道善博

「胸が張り裂けそうになった」ファンの熱いエール

 20歳で負った大怪我から、レーサーとしての活動に「20年」というリミットを設けていた植木は、現役時代の最晩年に苦い経験をすることになる。

 2007年3月のSGボートレースクラシック、性能に優れた“超抜モーター”を抽選で引き当てた植木は、予選をトップで通過し、優勝戦の1号艇を手にする。しかし大本命として迎えたスタートで、わずか0.01秒ながらフライングとなり、17億円を超える返還の当事者となってしまった。

「握力が落ちてきて、もう現役は長くないと思っていたので、妻にも『最後のSGになるかも』と伝えていました。もちろん優勝できればよかったんですが、ああいう結果になってしまって……。“艇王”とまで言われた人間が、0.01秒、たった20cmをなぜ我慢できなかったのか。(助走時に)もう少し上体を上げていれば、という後悔はありました。レース後には、平和島のファンの方に『植木、大丈夫か!』『お前が悪いわけじゃない!』と言っていただいて……。ありがたいのと同時に申し訳なくて、胸が張り裂けそうでした」

 同年7月、現役勤続20年の表彰のタイミングに合わせて、植木は引退を表明する。周囲からは「まだ走れるんじゃないか」と声をかけられたが、かつての凄惨な事故の記憶が残るなか、レーサーとして気力も体力も使い果たした末の決断だった。

 “不死鳥”の引退から15年、ボートレース界は過去最高の年度売上を記録するなど、かつてない活況を呈している。「ボートレースアンバサダー」として競技の普及に努める植木は、この盛り上がりをどう見ているのだろうか。

「ファンのみなさんの熱気は伝わってきていますし、実際、全国からレーサーになりたいという応募が増えてきています。アンバサダーとしての自分の役割は、売上ももちろんですが、やはりスポーツとしての魅力を広く伝えていくこと。同時に、レーサーを引退しても、セカンドキャリアで社会貢献ができるような人材を育てていきたいですね」

 ボートレーサーという職業が、プロ野球選手やサッカー選手と肩を並べる存在になるように――。かつての植木のように実力とドラマ性を兼ね備えたスターが、業界全体の盛り上がりにさらに熱を加えていけば、そんな未来も決して夢物語ではないかもしれない。<#1インタビュー前編から続く>

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プロペラで顔を切り刻まれ「これがまぶたで、これが目尻かな…」ボートレース界の“不死鳥”植木通彦は大事故のトラウマをどう克服したのか

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