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プロペラで顔を切り刻まれ「これがまぶたで、これが目尻かな…」ボートレース界の“不死鳥”植木通彦は大事故のトラウマをどう克服したのか

posted2022/05/29 11:00

 
プロペラで顔を切り刻まれ「これがまぶたで、これが目尻かな…」ボートレース界の“不死鳥”植木通彦は大事故のトラウマをどう克服したのか<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

若手時代に負った大怪我から復活し、“不死鳥”と称された植木通彦。1986年のデビューから2007年の引退まで、ボートレース界で輝かしい実績を残した

text by

曹宇鉉

曹宇鉉Uhyon Cho

PROFILE

photograph by

Sankei Shimbun

SG優勝10回、公営競技史上初の年間獲得賞金2億円突破など、90年代から00年代にかけてボートレース界の頂点を極めた“艇王”植木通彦。レース中の事故で全治5カ月の重傷を負った男は、なぜレーサーとして再起することができたのか。不屈の闘志でファンを沸かせた“不死鳥”の原点に迫った。(全2回の1回目/後編へ)※文中敬称略

「その瞬間の痛みですか? みなさんも小さいころに、柱の角なんかに思いきり頭をぶつけた経験があるでしょう。あの衝撃に近いかもしれません」

 1989年1月、のちにボートレース界で数々の金字塔を打ち立てる20歳の植木通彦は、ボートレース桐生でのレース中に転覆し、後続艇のプロペラに顔を切り刻まれる大怪我を負った。当時の記憶は、今も鮮明に残っているという。

「意識ははっきりしていました。ただ、手や足の怪我だったら自分でも具合がわかるんですけど、顔なのでわからない。救助艇に助けてもらって、病院に向かう救急車の中でも、私は状況がわからないから普通に振る舞っているんです。周りのみんなは恐怖を感じたでしょうね。顔を切り刻まれた当人が『フライングはありませんでしたか?』なんて質問しているわけですから」

 病院に搬送され、緊急手術を受けることになった植木。執刀医の「これがまぶたで、これが目尻かな……」といった言葉によって、ようやくことの重大さに気がついた。

「局部麻酔を打って、縫って、また打って、縫って……。その繰り返しでした。局部麻酔なので、手術中も意識はあるわけです。いや、さすがに怖かったですよ(笑)。でも恐怖と同時に、先生を信頼するしかないか、と」

 事故を起こしたのはデビュー3年目、「成績が一気に上がっていた時期」でもあった。日々のレースが楽しくなり、スポーツとしての醍醐味をより深く理解できるようになってきていた。しかし本人は「そこに慢心があった」のだと振り返る。レスキューに運ばれている間、植木はもうひとりの自分が「やっぱりか」と冷ややかに自分自身を見つめているような感覚を味わっていた。

【次ページ】 17歳でボートレーサーを目指した切実な理由

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