濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
カリスマ葛西純「世の中は無駄な血を一滴も流すな」 頬を串刺し、人間ダーツ…それでもデスマッチが“ただの残虐ショー”ではない理由
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2022/05/21 17:00
5月3日、所属するFREEDOMSの横浜武道館大会で佐久田俊行と対戦した葛西純。コスチュームは『時計じかけのオレンジ』ばり
カリスマ葛西純「世の中は無駄な血を一滴も流すな」
因縁もあればライバル関係もあり、互いを認め合うからこそのデスマッチもある。血を流し合うのが楽しくて笑顔になってしまうことも。激しいデスマッチを見ると、いつも「どうしてここまでできるんだろう」と感服する。ファンも残酷なものを見ながら、しかしそれだけを求めているわけではない。これは会場で感じてみないと分からないことかもしれないが、デスマッチの観客は残酷さの向こうに何かを見ている。
その“何か”を示してくれたのが葛西だ。佐久田を下すと、彼は言った。
「佐久田、今日はいっぱい血を流したかったんだろ? 要望に応えてやったよ。今、無駄な血が世界中で流れてる。お前があんなに血を流したおかげで、ちょっとは俺らデスマッチファイターの存在意義があるのかなって思うよ。世の中は無駄な血を一滴も流すな。俺っち葛西純、デスマッチファイターがお前らの分まで血を流し続けるからよ」
そして中指を立てながら、このところの試合でバンデージに書いている文字を見せた。
「Against War」
「血を流すのはリングの上だけでいい」
毎週のように血を流しながら、危険だ残酷だと批判されることもありながら、葛西が訴えるのは戦争のない、誰も血を流すことのない世界なのだった。
「血を流すのはリングの上だけでいい」
何年も前から葛西が言ってきたことだ。そのメッセージの重要性は今、さらに増している。葛西にとって、デスマッチとは世界中の人々の代わりに血を流すことでもあるのだ。少なくともそういう意味を見出している。
全世界の罪と罰を背負うと言ったら大げさか。だがこういう人間を“カリスマ”として頂くジャンルだから、その精神性が試合にも出るから、見ている我々もデスマッチは単なる残虐ショーではないと言い切れるのだ。「血の雨」を浴びるようなデスマッチを見ると、心が浄化されたような気さえする。嘘だと思うなら見てほしい。
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