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“プロレス業界初の死亡事故”から25年…キューティー鈴木が明かす、盟友が亡くなった日「麻里ちゃんは起きてくると思っていた」

posted2022/05/19 17:02

 
“プロレス業界初の死亡事故”から25年…キューティー鈴木が明かす、盟友が亡くなった日「麻里ちゃんは起きてくると思っていた」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

話題を呼んだ尾崎魔弓との写真集の裏側や、故・プラム麻里子さんへの思いを明かしたキューティー鈴木

text by

伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

1986年にジャパン女子プロレスでデビューし、アイドルプロレスラーとして一世を風靡したキューティー鈴木。現在52歳になった彼女の特別インタビューをお届けする《全3回の3回目/#1#2から続く》

 ジャパン女子プロレスでデビューしたのは16歳。同団体解散後の92年、同期の尾崎魔弓(OZアカデミー)、ダイナマイト関西、プラム麻里子(29歳没)らと新団体・JWPの旗揚げに参画。記録より記憶に残るファイターとして、人気・知名度・実力のすべてをランクアップさせた。通算12年におよんだ選手生活では、戦友との絆を育んだ一方で、永遠の別れも経験した。

◆◆◆

互いの胸にふれ、キスも…尾崎魔弓との“衝撃写真集”の思い出

――JWPが旗揚げされた92年に出版された尾崎選手との写真集『赤い糸』は、衝撃的でした。“レズ写真集”と公に謳われて、互いの胸にふれたり、キスしたり……。

キューティー鈴木(以下、キューティー) 本人たち的には、「そんなにびっくりするような内容?」って感じでしたよ。キスをするのも、「それはできないよー」とか「とにかく目を合わせるのはやめよう」とか言いながら、楽しんでました。完成したのを見ると、すごくいやらしいんだけど、撮ってる本人たちはぜんぜんそんな感覚がなくて。

――出版後の反響はどうでしたか。

キューティー ふだん、プロレス雑誌の人たちはああいう写真集を嫌がるんですけど、あの写真集はそんなに嫌がってなかったって聞いて、どこがどう違うんだろうと。反響があったのは知ってるけど、私と尾崎は「そうなんだ」ぐらい。

「私はお客さんを呼ぶ選手」から意識が変わった理由

――この年から、“プロレスラー・キューティー鈴木”がノリに乗っていきます。

キューティー ジャパン女子からJWPになる合宿のとき、選手やスタッフと話をしたけど、尾崎と2人きりでプロレス以外の私生活のことまで深く話したのは、あの写真集の撮影のときが初めて。負けてられないなぁって、プロレスでなめられちゃいけないなって思ったし、JWPを成功させてやろうっていう感覚が強くなったのを覚えてます。

【次ページ】 初の死亡事故から25年…故・プラム麻里子さんへの思い

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