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〈秀岳館だけではない高校サッカー強豪校と抑圧問題〉“監督の独裁”から選手主体になったチームは何をどう変革したのか
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph byKyodo News
posted2022/05/08 17:02
秀岳館サッカー部の問題について、5日に学校側が会見を開いた
荒れた生徒たちを鎮めるには、上から規律で締め付け、そのためには厳罰も辞さない構えだった。しかし畑や、彼から学んだ堀越の佐藤実監督は、押さえつける代わりに生徒たちに主導権を手渡した。
結論から言えば、両校ともにサッカーの成績が向上しただけではなく、日常から選手たちの積極的な言動が目立つようになった。
広島観音は全国大会の常連となり2006年にはインターハイ制覇を果たし、堀越は2020年度の全国高校選手権に29年ぶりの出場を果たすとベスト8まで勝ち進んだ。一方畑が異動して来た安芸南では高校全体がボトムアップ志向へとシフトし、2018年の西日本豪雨の際には生徒たちが自主的に連絡を取り合い真っ先に災害支援に駆けつけ、海外メディアからも賞賛された。
「ノーコーチング」を貫いた源流のクラブとは
人は抑圧されれば反発し、信頼されれば責任を自覚して動き出す。上意下達ではなく、真逆のボトムアップを志向した高校の変貌ぶりが如実にそれを証明している。
遡れば、その源流は、畑が育って来た広島大河FCにある。1974年に同クラブを創設した浜本敏勝は、試合が始まれば子供たちの主体性を尊重し「ノーコーチング」を貫いた。
「サッカーではボールを持つ選手が王様。その王様に対して『ああせい、こうせい』と言うもんじゃない」
横道に逸れそうな生徒がいれば、同じ目線で優しく語りかけ愛情を注いで信頼した。やがて生徒たちは浜本が大好きになり、浜本を裏切らないために襟を正すようになった。
指揮権を託されたキャプテンは重圧に震えた
堀越高校の佐藤監督は、何度か広島まで足を運び浜本や畑から学び、確信を持って選手主体の部活へと舵を切った。
だがある日突然監督から指揮権を託されたキャプテンは、あまりの重圧に震えた。その日から必死にサッカーを学び、何をするにも話し合いの場を設け、チームメイトの状況を把握し、メンバーを決めて采配を振っていく。当然個人の容量を越え、遂に調子を崩して主将自らメンバー外を選択した。
しかし部員たちは、みんなで任された活動だからと、一緒に責任を担う選択をしていく。少しずつ得意分野で主将を助ける者が現れ、次の主将は全員が何らかのリーダーを務める制度を整え、さらに翌年度の主将は最上級生ながら真っ先にグラウンドに現われ率先して準備を始める。そして主将が動く姿を見て、学年に関係なく個々がやるべきことを悟っていくのだった。