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「12対1」のいじめ、両親の反対… スターダムで輝く“折れない女”MIRAIを突き動かした「プロレスへの憧れ」《特別グラビア》
posted2022/04/27 17:01
text by
原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
「まわりが暗い雰囲気なのは、小学生でも感じました」
東日本大震災が起きたのは、スターダムで活躍する女子プロレスラー・MIRAIがまだ小学生の時だった。岩手県宮古市で生まれ育った彼女には、もちろん当時のつらい記憶が残っている。だが、被災した悲しみを忘れて、熱中できた瞬間があった。
キックの藤原敏男や初代タイガーマスク(佐山聡)らが2011年8月に宮古市で開催した、復興のためのプロレスチャリティー興行『勇気と絆』だ。選手たちの熱い戦いを目にした時、少女は心から「プロレスラーってすごいな」と思ったという。
それをきっかけにMIRAIはプロレスが好きになり、高校時代までさまざまな団体を追いかけていた。高校3年生のころ、真剣に打ち込んでいた柔道部を引退するにあたり、「好きなことを職業にしたい」と考えた。プロレス関係の仕事としてトレーナーを目指す選択肢もあったが、それ以上に「プロレスラーになりたい」という思いを優先した。柔道でも有望な選手だったMIRAIには、大学から推薦の話も来ていたという。
「それでもプロレスを選びました。神取忍さんのこともよく知っている先生から、『大学でもっと基礎体力をつけてからでもいいのでは』と言われたんですが、柔道とプロレスは似ていてもやっぱり違う。どうせやるなら、すぐにその道に入った方がいいと思ったんです」
陰湿ないじめも「学校に行かなくなったら負けだ」
MIRAIは小学生の時から「いじめられっ子だった」と打ち明ける。
「何でもやりたい性格だったから、良くも悪くも目立ったんでしょうね。それが周りの気に障ったんだと思います」
冷静に当時を振り返るMIRAIだが、孤立無援の状況は長く続いた。小学校の時は9人だったクラスが、中学になると近隣の小学校の生徒たちが集まって13人になった。
それから「12対1」のいじめが始まった。暴力ではなく、言葉や態度での陰湿ないじめだったという。たった1人で12人から受けるいじめがどんなものなのか、想像することは難しい。周りにまったく味方がいないのだから。
「親が気づいてくれて、自分は『大丈夫』って言ったけれど、そう言いながらボロボロ泣き出していました」
学校に行かなくなったら負けだと思って、周囲に何を言われても、無視をされても、毎日耐えながら通い続けた。