濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「リングを降りたら素でいたい」 元アイドルはパワーファイターに…スターダム・ひめかが“ネガティブな自分”もさらけ出す理由《特別グラビア》
posted2022/04/28 17:02
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Yuki Suenaga
スターダムのひめかが、団体最高峰の“赤いベルト”ワールド・オブ・スターダム王座に挑戦する。4月29日の大田区総合体育館大会。チャンピオンは朱里。ベルトを目指す道のりは「不純な動機」から始まった。
青森で生まれ岩手の高校に通っていた彼女は、アイドルになりたかった。それがスタート地点だ。
「夢を与えたいとかそんな大それたことじゃなくて。アイドルになったらロビンちゃんに会えるんじゃないか、一緒にディズニーランド行きたいなって(笑)」
もともとハロー!プロジェクト(ハロプロ)が好きで、ハロプロエッグ(研修生)出身のグループであるTHE ポッシボーのファンになった。中学生の頃だ。“推し”は岡田ロビン翔子。引きこもり気質だったのにアイドルのライブならどこにでも行けた。始業式を休んでポッシボーのライブに行ったこともある。親にはかなり怒られたが、後悔はしていない。
「観客を2222人動員したら、グループが目標にしてた中野サンプラザでのライブが決まるっていうツアーの最終日だったんですよ。2222人は中野のキャパです。場所が大阪だから日曜夜のライブを見たら月曜朝の始業式までに岩手には戻れない。でも行かなくて動員が1人足りなかったらそっちのほうが後悔するじゃないですか。“私のせいだ”ってなる。それが嫌で」
それくらい“ガチ”なファンだった。ポッシボーも“ガチ”なグループで、その時は動員が27人足りずにメンバーもファンも泣き崩れた。ひめかも泣きながら握手会に出た。中野サンプラザでのライブが満員になるのは、その1年あまり後のことだ。「最前厨」の彼女は頑張って1列目のチケットを取ったのだが、会場には「0列」もあって驚いた。
上京してアイドルに…あだ名は「ジャンボ」
高校を卒業すると上京。田村淳がプロデュースするアイドルグループ、スルースキルズに加入する。ファンのストレスを解消する「罵っていいアイドル」がコンセプト。ひめかの“罵りワード”は体が大きかったから「ジャンボ」だった。
スルースキルズは全日本プロレスの応援大使を務め、後楽園ホールや両国国技館のリングで歌うチャンスを得た。国技館のバックステージ、「絶対に爪痕残すぞ!」と円陣を組む彼女たちの姿を見たことがある。
グループは2017年に解散。すっかりプロレスに魅了されていたひめかはレスラーを目指す。最初に指導を受けたのは、当時の全日本の社長、秋山準だった。伝授されたのはジャンピング・ニーアタックだ。
所属は“女優によるプロレス団体”アクトレスガールズに。同団体が全日本プロレスで提供試合を行なっていたのが決め手だった。2017年12月にレスラーデビュー。翌年1月にはレスラーとしての原点である全日本プロレスで試合をした。デビュー2戦目だったが、ひめかは「これがプロレスラーとしての本当の始まりでした」と振り返る。試合には敗れたが、全日本のリングで“ジャンボ”がジャンピング・ニーを決めた場面は印象深い。