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「12対1」のいじめ、両親の反対… スターダムで輝く“折れない女”MIRAIを突き動かした「プロレスへの憧れ」《特別グラビア》
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/04/27 17:01
岩手県宮古市出身のMIRAIは、少女時代に震災を経験。地元で開催されたチャリティー興行に心を打たれ、プロレスへの憧れを募らせていった
高校時代の話だ。当時のMIRAIは、生物の先生から「フューチャー」というあだ名で呼ばれていた。ある日、体育の授業のため更衣室ではなくトイレで着替えていたら、同級生の「フューチャーうぜえ」という声がドアの外から聞こえてきた。
「フューチャーって私のことだ」
MIRAIはすぐにドアを開け、何も言わずに出ていった。「聞いていたよ」という強い意思表示だった。陰口のつもりで「うぜえ」と言っていた相手はびっくりしたことだろう。
「たぶん相当ビビったと思いますよ。それから彼女はやさしくしてくれるようになりました(笑)」
両親の反対を押し切ってプロレスラーに
中学や高校での毎日が楽しいものではなかったこともあってか、日に日にプロレスへの想いは増していった。高校3年生の時、「プロレスラーになる」と母親に意思表示したが、「考え直しなさい」と言われた。
「でも、母も『いつか言い出すだろう』とは思っていたはず。高校は進学校だったんですけど、担任の先生にも『プロレスラーになります』と進路の希望を伝えました。『進学しなさい』と押し付けてくることはなかったです」
父親も内心は反対だったそうだが、MIRAIに直接は言わなかった。母親がチャリティ興行で知り合った新間寿氏(元新日本プロレス専務)に「娘がプロレスラーになりたいって言っているんです」と電話したところ、同氏からは「やめさせなさい」とアドバイスが返ってきたという。
それでも、一度自分で「こう」と決めたら絶対に折れないのがMIRAIの性格だった。
「姉がいい大学に通っていたので、母は同じように進学させたかったんだと思います。でも、母が姉に相談したら、姉は『あの子は言い出したら聞かないから。そう言っているんだから説得は無理でしょう。やらせればいいじゃない』とアシストしてくれて」
家族会議の結果、「じゃあ、1回やらせてみる?」という話になり、最終的に母が父を説得してくれた。
上京、デビュー、そしてスターダムへ
プロレスラーになることを家族にも認められたMIRAIは海援隊の入門テストを受け、高校を卒業した直後の4月から海援隊道場に入った。
「その前に引っ越し屋さんでバイトして、上京するための資金を貯めたんです。でも、それだけでは全然足りなかったですね(笑)」