濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「今のプロレスは危険すぎる」批判は本当に適切か? 大谷晋二郎“頚髄損傷のリング事故”を至近距離で見た筆者が明かすリアルと“選手の証言”
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2022/04/16 11:00
4月10日のZERO1両国国技館大会で対戦した大谷晋二郎(左)と杉浦貴。試合中盤に大谷が負傷し、救急搬送された
“技”を批判すれば済む問題ではない
原因は一つではない。絶対に避けられたとも言い切れない。プロレス界に改善すべき点があるとしたら技よりもコンディション、それに関連する試合スケジュールかもしれない。これはZERO1の話ではないが、試合が激しくても充分な休養があれば大丈夫なんだという選手もいる。
地方巡業の日程、コースを考えてほしいという声も聞いたことがある。試合だけでなく連日の長距離移動で消耗することもあるのだ、と。少なくとも「今のプロレスは技が危険すぎる」、「過激化する一方」と批判すれば済むようなことではない。
大会には橋本真也ゆかりの人々が集結
大谷の救急搬送という非常事態で幕を閉じることになったZERO1両国大会だが、そこまでの流れが素晴らしいものだったことも記しておきたい。大会にはZERO1と団体創設者である橋本真也ゆかりの人々が集結していた。
オープニングは蝶野正洋とブル中野のトーク。6人タッグマッチで藤波辰爾、越中詩郎と藤原喜明、船木誠勝が激突する。アジャコングはZERO1と同グループの「超花火プロレス」代表でもある。女子プロレスの「レジェンドマッチ」はジャガー横田&神取忍vsダンプ松本&クレーン・ユウ。ダンプとクレーンの「極悪同盟」にはブルがセコンドについた。見ているだけでただただ嬉しい、ありがたい。そんな試合だ。
“デスマッチのカリスマ”葛西純もZERO1所属だった時代がある。対戦した大日本プロレス勢には橋本大地もいた。言うまでもなく橋本真也の息子であり、デビューしたのはZERO1の10周年記念大会だ。会場も同じ両国。フィニッシュのSTFは、デビュー戦で蝶野に決められ、伝授されて自身に初勝利をもたらした技だ。
大谷晋二郎が守り続けたZERO1の力
旗揚げ戦にも出場した丸藤がいて、鈴木秀樹と田中将斗のトップファイター対決があり、新日本プロレスからも選手が登場(永田裕志、小島聡、タイガーマスク)。その試合で新日本出身、元ZERO1の高岩竜一から勝利を収めたのはZERO1新世代の松永準也だ。
豪華で賑やかで話題性もテーマ性もあって、本戦前の第0試合を含めると6時間以上の超・長丁場も飽きることがない。そんな空間を作る力がZERO1にはあった。橋本真也が生み出し、大谷晋二郎が守り続けたZERO1の力だ。
それはプロレスそのものの力でもある。大谷はそう考えているはずだ。今大会のタイトルは10周年大会と同じく、ストレートに『プロレス』。以前、大谷にインタビューした際にもらったお礼のメールには、文末に「これからもプロレスをよろしくお願いします」とあった。
だからこうして、今回「プロレス」の中で起きたことも真正面から考えている。見ると辛くなる写真を何度も何度も見て考えている。大谷晋二郎に、その熱に触れたことがある以上、そうせざるをえないのだ。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。