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絶対に負けたらあかん…前キャプテンが明かす“大阪桐蔭の重圧”「正直、楽しめなかった」オリックス池田陵真が後輩たちに伝えたこと
 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/04/09 06:00

絶対に負けたらあかん…前キャプテンが明かす“大阪桐蔭の重圧”「正直、楽しめなかった」オリックス池田陵真が後輩たちに伝えたこと<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

4月2日ウエスタンリーグで2ランを放ったルーキー池田陵真。ドラフト5位でオリックスに入団した

「入学当初から、『この代はすごい選手が集まった』ってメディアの人たちに言われて、学校の周りの生徒からもすごく期待されていたので、僕らみんな『絶対に負けたらあかん』みたいなのがあったんですよね。プレッシャーというか……本当はないのかもしれないですけど、自分たちで大きくしてしまっていた。新聞とかを見ても常に大阪桐蔭はA評価で、他の高校は『打倒大阪桐蔭』となるので、その中で勝たないといけない、という気持ちがずっとありました」

 U-15日本代表で4番・主将を務めた池田や、同じくU-15代表だった花田旭、中学生で146キロを記録した関戸康介など、中学時代から名を馳せた選手が集まり、注目された代だった。しかも池田たちが2年の時はコロナ禍で春・夏の甲子園が中止となり、日本一を目指すことができなかった先輩たちの思いも背負っていた。ただでさえ勝って当たり前のように見られる大阪桐蔭だが、昨年の代には例年にも増して「負けたらあかん」という重圧がのしかかっていた。

 2年夏に行われた交流戦を除けば、池田たちにとって初の甲子園となった昨年のセンバツは、優勝候補に挙げられながら、智弁学園に敗れ初戦で敗退した。

「自分たちはSNSとかを見ないのでわからないんですけど、家族から、『桐蔭たいしたことない』みたいに言われていると聞きました。3年生全員が『なんで勝てないんや』と悩んで、すごくつらい時期が続きました」

 それでも、「どちらかというと個が強いチームだった。もっともっとチーム力を上げなければ」とミーティングを重ね、練習の精度を追求し、夏に向けて手応えをつかんでいった。

甲子園へ導いた池田の勝負強さ

 夏の大阪大会は苦戦の連続だったが、池田の勝負強さがチームを救った。準決勝では6-7と1点ビハインドで迎えた崖っぷちの9回表に同点弾。決勝では3-3の9回裏2死三塁の場面でサヨナラ打を放ち、甲子園出場を決めた。大阪大会での池田の打率は実に6割5分4厘。チームは“日本一”しか見ていなかった。

 だが甲子園では、文字通り雲行きが怪しくなった。初戦の東海大菅生戦は、試合途中から雨足が激しくなり、グラウンドが水浸しに。投手が足をとられたり、バットが滑ってすっぽ抜けたり、内野ゴロが途中で止まってしまう状態になり、大阪桐蔭が7-4とリードしていた8回表、東海大菅生が1死一、二塁としたところで降雨コールドとなった。勝ちはしたが、どこかモヤモヤしていた。

「あの雨で、少し流れが悪いな、と。勝ったのは勝ったんですけど、校歌も歌うことができなかったですし。たぶん全員が薄々感じていたと思います。なにかちょっと大阪大会の時とは流れが違うって。焦りがあったし、あまり楽しくできていなかった。春がああいうかたちだったので、プレッシャーのほうが大きかったと思います」

 2回戦では近江に4-0から逆転されて敗れた。そのあとの池田の記憶はおぼろげだ。

【次ページ】 敗れた日の夜…西谷監督が見た光景とは?

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