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石川祐希、高橋藍の“恩師”がこの春から東山高の監督に就任した理由「日本が強くなるために必要なことが高校バレーにある」《教員免許も取得》
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byYuko Tanaka
posted2022/03/31 11:04
東山高校バレーボール部の監督に就任した松永理生(40歳)。中央大では監督としてインカレ3連覇を達成し、東山高でもコーチとして全国制覇を経験している
松永は「僕はきっかけを与えただけ」と謙遜するが、高橋にとっては中大で石川が実際に行った練習メニューやトレーニングメニューをこなせること、そして「石川はこんな工夫をしていた」と当時の話を聞けたことは貴重な経験になった。
大学在学時からイタリアへ渡った石川がいかに意識高く取り組んできたかを伝えられるうちに、高校生だった高橋も「日本一になりたい」「優勝したい」という目標が設定され、日々の練習から「世界で戦う自分」を意識するようになった。松永に与えられたモチベーションが刺激と力になり、飛躍的な成長へとつながっていったのだが、その姿勢を高く評価していたのがほかならぬ松永であった。
「新しいメニューを出すと『石川さんはどれぐらいの回数をやっていたんですか?』と尋ねてくるし、石川に追いつきたい、ではなく、石川のように自分も世界で戦うためにどうするべきか、を考えていた。藍はとにかく貪欲で、トレーニングも誰より一生懸命取り組んでいました。その成果が今につながっていると思いますね」
「運がいいだけだ」というやっかみも
1人でも五輪に出場するような選手を育てることができれば、と願う指導者は多いが、現実は夢のまま終わることのほうが圧倒的に多い。それなのになぜ松永は何人も代表選手や五輪選手と共に戦い、数多くのタイトルを手にすることができたのか。
他の指導者から「指導力があるわけではなく、運がいいだけだ」と少なからぬやっかみを受けたこともあった、と苦笑いを浮かべる。だが、そう思われてきたであろうことも、このタイミングでの監督就任にもつながったのかもしれない、と明かす。
「指導力があるか、ないか。自分には正直わかりません。実際選手に恵まれたのは紛れもない事実で、『いい選手がいたから勝てた』と言われても仕方ありません。でもこれから自分の将来を考えた時、僕は高校で日本一になるチームをつくることだけでなく、いつかアンダーカテゴリーやシニア、日本代表のスタッフとして世界と戦えるチームを任せてもらえるような指導力を身につけたいと思っていました。そのタイミングで豊田先生から『監督を引き受けてくれないか』と声をかけていただいた。
他校の先生方を見渡しても、高校界にはバレーボールの技術指導だけでなく、人間力を育成し、選手に大きな夢を見せて目標値を上げていく素晴らしい指導者がたくさんいます。選手も3年という短い時間の中で劇的に成長していく。一番変化のある場所で自分も学びたい、と思い監督という大役を引き受けることにしました」