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石川祐希、高橋藍の“恩師”がこの春から東山高の監督に就任した理由「日本が強くなるために必要なことが高校バレーにある」《教員免許も取得》
posted2022/03/31 11:04
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Yuko Tanaka
5年ぶりに“監督”として臨んだ試合。
3月18日、Vリーグ・サントリーサンバーズのホームゲームでのエキシビジョンマッチで東山高(京都)を率いた松永理生は、3セットオープンマッチを2対1で終えると、笑みを浮かべた。
「コーチで入っていた時も、同じように試合中に指示を出したり声をかけたりはしていましたが、勝敗にかかわる責任感は全然違う。選手だけでなく、僕も緊張しました」
松永は、間もなく迎える新年度を前に母校・東山高の新監督に就任した。全国初制覇となった2020年の春高でもコーチを務め、40歳での監督就任。早いどころかむしろ指導者としてのキャリアは十分だ。
さかのぼれば自身もパナソニック、豊田合成(現ウルフドッグス名古屋)で選手としてプレーし、日本代表に選出されたこともある。現役引退後の2011年から豊田合成でコーチを務め、会社に在籍しながら外部派遣という形で12年からは中央大学の監督に就任。同時期の中大には関田誠大や石川祐希といった、後に東京五輪でも主軸を担う選手たちが揃っていたことも重なり、14年から16年まで全日本インカレで3連覇を達成している。
中大の監督を退いた後も、全国各地でのバレーボール指導やユニバーシアード日本代表のコーチなどを務めた。19年に豊田合成に戻った際はVリーグで戦うチームのコーチを志したこともあったが、母校を率いる恩師である豊田充浩前監督(現総監督)からの誘いを受け、同年東山高のコーチへ。それから3年での監督就任となった。
高橋藍「理生さんのおかげで成長できた」
コーチとしてやってきた東山高では、かつて中大で石川という才能と出会ったように高橋藍がいた。高橋は在学当時から注目を集め、世代を代表するエースとして春高を制したあと、卒業翌年の20年に日本代表にも選出された。昨夏の東京五輪にも出場した高橋が「理生さんのおかげで成長できた」と、ことあるごとに名を挙げたのが松永だった。
そこまで言わしめる理由は何か。