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甲子園の風BACK NUMBER
父は甲子園28勝の名将…センバツ最年少・浦和学院監督(31)が見直した“野球界のあたりまえ”「朝練より睡眠時間を優先」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byL)KYODO、R)Yuki Kashimoto
posted2022/03/18 06:00
父・森士氏からバトンを受け継ぎ、センバツ初采配を振る森大監督。監督&部長がともに31歳コンビという浦和学院は開幕戦でどんな野球を見せるのか?
父は27歳で監督になり、1年目にセンバツ出場(92年)、30年間で優勝1回、甲子園出場22回の実績を残した。その功績を「まさに百戦錬磨。どうしたって敵わない」と肩を丸めつつも、親子だから言える父親の監督像をこんな例えで説明した。
「ぼくが言うのもアレですが、強烈なカリスマ性でしたよね。戦国武将で言うなら織田信長です。強いリーダーシップで天下統一の基盤を作った偉人。弱気になっている選手に『俺を見ろ』『ついてこい!』と鼓舞してきた監督だったと思います」
前監督を知る者なら、非常に納得する「例え」ではないだろうか。威厳のある「昭和のオヤジ」タイプ。90年代後半~2015年頃の強さを支えたエネルギッシュな指導が思い浮かぶ。
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その士氏は現在、副校長として学校に残り、兼務で「NPO法人ファイアーレッズメディカルスポーツクラブ」の理事長として地域スポーツの活性化と普及に努めている。息子の指導に口を出すことは一切ない。遠くから部を見守り、求められたときだけサポートするという立ち位置。夏春の連続甲子園出場に士氏は「秋に結果を出して甲子園を決めたのは大きな財産ですよね」と賛辞を送る。そして「この20年間、埼玉で甲子園に出た監督というのが実は5人しかいない。聖望学園の岡本さん、本庄一の須長さん、春日部共栄の本多さん、花咲徳栄の岩井さん、そして森。埼玉の勢力図はずっと変わらなかった。そこに(大監督が)入っていけたのは有難いことです。これからの埼玉は、群雄割拠。厳しい時代に入っていくと思う」。「新生浦学」に期待を込めて話した。
監督&部長が持つ“サラリーマン経験”
新チームが始動したとき、指導者を集めてある提案をした。それは「スタッフも一緒に、現役選手のつもりでやろう」という指針だった。