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羽生結弦の“かわらない”姿勢…北京五輪を現地取材の記者が目撃した気遣いと求心力《エキシビ練習後の「手伝い」は“特別”ではない》
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph bySunao Noto/JMPA
posted2022/03/06 11:04
エキシビション前日の公開練習ではリラックスした表情を見せた羽生。北京でのすべての演技を終えて「やり切った」と語った
しかも北京大会では、ショートプログラムで本人にはどうしようもないアクシデントに見舞われ、フリー前日の練習で右足首を負傷した。思い描いていたようにはいかなかったという悔しさを味わっていたはずだ。
それでも、人を気遣う、感謝を捧げる姿勢はこれまでとかわることはなかった。
「人の真価は、うまくいかなかったときにどのような態度をとるかで決まる」と筆者に教えてくれたのは、ある柔道の指導者だった。勝利が得られなかったときや自身のパフォーマンスの度合いが満足するものでなかったとき、選手が落胆するのは自然だ。これは日々の仕事や生活の場面でも同様で、期待や予想を下回ったときに思わず落胆してしまうことは誰しもあるだろう。それが後の言動に影響するのも、よくあることではある。しかし、そこで踏みとどまれるか、毅然としていられるか、あるいは自暴自棄にならないか。そこが問われるのだとその指導者は言っていた。
羽生のかわることのないふるまいはその言葉を思い起こさせた。羽生が羽生として立ち続け、誰からも一目置かれる所以である。
羽生の演技が生む穏やかな空気
むろん、その根幹には氷上の演技がある。
北京は無観客の試合となったが、選手をはじめ関係者など観客席には一定の入場者がいた。羽生が滑っていると、ボランティアがリンクを見るために続々と通路に立ち始めた。
羽生に向けられる視線の数は、コロナ禍にある今日とそれ以前とでは異なる。ただ、その熱の高さは等しかった。
エキシビションでは『春よ、来い』を披露した。そこには羽生が培ってきた、羽生ならではの世界があった。
羽生の登場で起こった歓声はトリプルアクセルでさらに大きくなり、その後も歓声が響いた。中国の人々をはじめ各国関係者の、心からの歓声だった。リンクでは公式練習でもこの日も他のスケーターとの交流があり、穏やかな空気があった。