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「98年のチームはすでにピークを過ぎて高齢化し…」トルシエが“日本代表の世代交代”を決断した「中村俊輔のループシュート」 

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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posted2022/03/29 06:00

「98年のチームはすでにピークを過ぎて高齢化し…」トルシエが“日本代表の世代交代”を決断した「中村俊輔のループシュート」<Number Web> photograph by AFLO

98年のアルゼンチン戦に出場した時の中村俊輔

「日本の運命を変えたゴールといえた」

「私にとって象徴的な意味を持った。私は日本の真のポテンシャル、自分が手にしている現実的なポテンシャルを強く意識することができた。何の迷いもなく私は、若者の力をベースにして自分のプロジェクトをスタートする決心がついた。その意味で、日本の運命を変えたゴールといえた」

 9月に監督に就任したトルシエは、10月に入ると精力的に活動を開始した。JヴィレッジにA代表・五輪代表の候補総勢57人を集めて大規模な合宿を行ない、直後にタイ・チェンマイで行われたU-19アジア選手権を視察した。

 そして10月28日には、最初の国際Aマッチとなるエジプト戦を戦った(中山雅史のPKによる得点で1対0の勝利)。そこから得た結論が、世代交代の必要性であり新チームの構築であった。

「'98年のチームはすでにピークを過ぎて高齢化し、世代交代は不可欠だった。タイに視察に行って、U-19世代のクオリティの高さを確信した。それにアルゼンチン戦のゴールが拍車をかけた。私は何の迷いもなくこの世代とともにプロジェクトを始めることを決意した。もしアルゼンチン戦がなく、タイにも行っていなかったら、同じ情報を得ることは不可能だった。エジプト戦のように'98年のグループを維持し続けることで満足していたかもしれない」

カレンダーも完璧だった

 ワールドカップのグループリーグ突破を目標とした、4年間の長い旅がこうして始まったのだった。

「ステップ・バイ・ステップ、目標をひとつずつ達成しながらプロジェクトを進めていった。最初の目標はワールドユースだった。私はその世代に集中し、準優勝を果たすと、グループの優れた選手たちを維持しながら、次の目標である五輪予選に集中した。その間、A代表については、コパアメリカを除き大きな大会もなく、カレンダーも完璧だった。グループの内部で、世代間の軋轢が起こり得なかったのだから」

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