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羽生結弦に大興奮のボランティア、バブルで食事に困る海外記者…「同じ“北京五輪”でも14年前と何が違った?」現地取材記者がレポート
posted2022/03/02 06:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
JIJI PRESS
北京は2008年の夏季大会、そして今回と、夏冬両方の五輪を開催した初の都市となった。
14年の時を経て、2つの大会にはどのような違いがあっただろうか。むろん、夏冬そのものの違いはある。しかも2022年は新型コロナウイルスの影響を大きく受けていた。その上で、両大会を思い起こしてみたい。
1日12時間の激務でも、笑顔で「何かお困りですか?」
2008年、今も覚えているのは夏冬合わせて10回ほど五輪取材を続けていた記者の言葉だ。
「ここまでメディアに気を遣っている大会は記憶にないですね。ボランティアの愛想のよさ、丁寧さには驚かされます」
自身の記憶する限りでもボランティアスタッフの応対は印象的だ。メディアセンターで立っているだけでも即座に寄ってきて、「何かお困りですか?」と言葉をかけられた経験がある。
対応が丁寧であるのは2022年も変わらない。何かしら尋ねたくて窓口に行けば、懸命に問題を解決しようとしてくれた。英語でのやりとりで限界があるとなれば翻訳アプリを介して、さらには日本語のできるスタッフを呼び、何人も集まって解決の方策を考える光景があった。
もし違いがあるとしたら、2022年はそのボランティアの表情が「自然」であるように感じられたことだ。
2008年は中国にとって初めてのオリンピック開催であり、しかも「チベット問題」を抱えての大会だった。メディアセンターに向かうためバスに乗るときの荷物検査などは厳重で、街中にも警官の姿が目立った。警備が厳重な分、ボランティアは笑顔で柔和な対応を意識している(させられている)ようだった。無理があったからか、大会の半ばすぎから窓口内でうたた寝する姿も目につくようになった。1人のボランティアとの会話を記憶している。
「1日12時間、仕事をします。2交代制です。休みはありません。志願しましたがこんなにきついとは思わなかったです」
羽生結弦に熱狂するボランティアスタッフの姿が
一方で、コロナで制約のあった2022年、ボランティアの表情に人間味を感じる瞬間が度々あった。最も印象に残ったのは2月14日、メインプレスセンターで羽生結弦が記者会見を開いたときだ。