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羽生結弦に大興奮のボランティア、バブルで食事に困る海外記者…「同じ“北京五輪”でも14年前と何が違った?」現地取材記者がレポート
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJIJI PRESS
posted2022/03/02 06:00
2008年の夏季五輪から14年。同じ北京で開かれたオリンピックは何が違ったのか?現地取材した記者がレポートする
会見場内で待機していると、室外の遠くから歓声が聞こえてきた。現地ボランティアによる野次馬の声だ。数も決して少なくない。大会期間中、羽生にはいつも熱心な視線が集まっていたし、自身の決められた役割をこなしながら、練習でも羽生へ拍手を送るボランティアの姿は何度も見かけた。2008年大会の、誰もがどこか作られたような表情をしていた彼らとはやはり違う印象だった。
絶対に市中に出られない“徹底したバブル方式”
今回もコロナで厳重な警備体制が敷かれたが、目立ったのは、「クローズド・ループ」と呼ばれる“市中には出られない”徹底した外との遮断だった。宿泊するホテルを囲うフェンスの周辺には、警備員やパトカーが必ずいたし、歩けば数十mという会場間も直接歩くことはできず、バスで十数分回り道をして行き来しなければならない。ただ宿泊施設から出発する際のゲートでのチェックのレベルなどは2008年よりもなぜか緩やかなのが意外だった。
ともあれ、街には出られないので、食事についても通常以上に制限を受けることになる。
プレスセンターにはカップ麺、お菓子の用意もあったが…
プレスセンターに食堂はあるが、選手村と異なり、味の面で一般的な料理のレベルより劣り、しかも割高であるのが常だ。通常なら頼れる売店もバブル方式の中にあるかわからない。約1カ月分の食料を用意して現地入りする記者やフォトグラファーもいた。ただ現地で調達できると想定していた人もちらほらいて、プレスセンターに用意されていたカップ麺、お菓子などで1カ月もの長丁場を過ごしていた。