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日本中を震撼させた「あさま山荘事件」から50年…現場のすぐ隣に、事件解決に役立ったプロレス道場があった?《馬場、猪木も使用》

posted2022/02/28 06:00

 
日本中を震撼させた「あさま山荘事件」から50年…現場のすぐ隣に、事件解決に役立ったプロレス道場があった?《馬場、猪木も使用》<Number Web> photograph by KYODO

戦後昭和史に刻まれる「あさま山荘事件」の現場となった河合楽器の保養所。すぐ隣には日本プロレスの道場があった

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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KYODO

 今から半世紀前の昭和47(1972)年2月、連合赤軍の残党メンバー5人が、管理人の妻(当時31歳)を人質に河合楽器製作所の保養所(長野県北佐久郡軽井沢町)に立てこもり、警視庁機動隊と長野県警察機動隊が人質を救出せんとするも、死者3名(機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(機動隊員26名、報道関係者1名)を出した、いわゆる「あさま山荘事件」に日本中が震撼した。

 事件を追うNHK報道特別番組は半世紀が過ぎた現在でも、報道特別番組視聴率の日本記録(平均50.8%=ビデオリサーチ・関東地区調べ)となっており、戦後昭和史に深く刻まれる事件であることがわかる。

カップヌードルともう一つのこぼれ話

 半世紀の区切りとともに、多くのメディアが事件の詳細や証言などを特集。事件のこぼれ話として前年(昭和46年)9月に発売開始されるも、「お湯をかけて3分待つだけ」という画期的調理法のわりに、まだ、さほどは世間に浸透していなかったカップヌードル(日清食品)が、連日にわたり厳寒の事件現場でそれを食べる機動隊員たちの姿がテレビに映し出されたことによって、「あれは何だ?」と多くの人の目に留まり、売り上げを伸ばしたとの伝説が残る。

 もう一つのこぼれ話として、あさま山荘事件は日本プロレス(当時、芳の里淳三社長)とも関わりがあったことをご存知だろうか?

 あさま山荘のすぐお隣には、日本プロレスが保有していた軽井沢練成山荘(道場兼合宿所)があった。当時のレイクニュータウン付近は、開発に伴いブームにあったボウリング場や飲食店なども点在していたそうだ。しかし携帯電話など夢のまた夢、野山に囲まれた付近は公衆電話の利用もままならなかったと思われる。

 事件現場のすぐそばにいればこそ、目視以外、テレビなどで事件経過を確認することもできず、スマホやインターネットで情報を得ることもできない時代だった。情報を集める手段は小型ラジオぐらいしかなく、記者もカメラマンも密に会社に電話をしては、現場の様子を報告したり、指示を仰いだりする必要があった。

 そんな不便極まりない、あさま山荘周辺において、役に立ったのが、すぐご近所にあった日本プロレスの練成山荘だった。電話回線が敷かれていた練成山荘を多くの報道陣が中継基地として活用させてもらい、ある意味でレスラーの鍛錬以上に世の役に立ったと言い伝わる。

【次ページ】 第2次黄金期を象徴する合宿地

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