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日本中を震撼させた「あさま山荘事件」から50年…現場のすぐ隣に、事件解決に役立ったプロレス道場があった?《馬場、猪木も使用》 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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posted2022/02/28 06:00

日本中を震撼させた「あさま山荘事件」から50年…現場のすぐ隣に、事件解決に役立ったプロレス道場があった?《馬場、猪木も使用》<Number Web> photograph by KYODO

戦後昭和史に刻まれる「あさま山荘事件」の現場となった河合楽器の保養所。すぐ隣には日本プロレスの道場があった

 有名な鉄球作戦の後、機動隊突入で事件が鎮圧された2月28日当日、日本プロレスは千葉・船橋ヘルスセンター(昭和52年5月に閉館=跡地は現在の「ららぽーと船橋ショッピングセンター/現・TOKYO-BAY」)のローラースケート場にて興行を行っていた。

 すでに猪木は前年末に日本プロレスを追放され、新日本プロレス旗揚げ(3月6日、東京・大田区体育館)準備に奔走している時期だったが、試合前から事件の経緯が気になって仕方のない馬場や大木は、会場の事務所内に陣取り、事件を報じるテレビ中継にかじりついていたとか。

 試合開始(午後6時30分)直前の午後6時すぎに犯人が全員逮捕され、事件が解決すると、日プロ関係者が「人質の牟田(泰子)さんは無事救出され、犯人5人も捕まりました」と、プロレスには関係ないものの、事件経過に気もそぞろなお客さんに向けて異例のアナウンス実施。底冷えする館内には試合前にも関わらず、拍手と歓声が巻き起こった。

 約1カ月後、3月31日に開幕した春の本場所『第14回ワールドリーグ戦』の直前に、軽井沢練成山荘にて強化合宿を実施した坂口征二以下の選手一同は、練習開始前に事件現場を訪れ、殉職した機動隊員や犠牲となった民間人のために花束を供えたのだそうだ。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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