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「日本シリーズ4連投、3年連続30勝やシーズン42勝」は知ってるが… 神様、仏様、稲尾様の“光るスライダーと意外な日本記録”とは 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2022/02/23 11:01

「日本シリーズ4連投、3年連続30勝やシーズン42勝」は知ってるが… 神様、仏様、稲尾様の“光るスライダーと意外な日本記録”とは<Number Web> photograph by Kyodo News

1958年日本シリーズを前にした稲尾和久と長嶋茂雄。このシリーズで「神様、仏様、稲尾様」の言葉が誕生する

 6月3日 大阪球場 南海戦 先発 9回完封 〇
 6月6日 日生球場 近鉄戦 救援 3回0封 (セーブ相当)
 6月7日 日生球場 近鉄戦 救援 6回0封 〇
 6月10日 平和台球場 南海戦 救援 9回完封 〇
 6月11日 平和台球場 南海第2戦 救援 4回完封 (セーブ相当)
 6月14日 平和台球場 阪急戦 先発 9回責2 〇
 6月17日 平和台球場 近鉄戦 救援 2回責0封 〇
 6月18日 平和台球場 近鉄第1戦 救援 0.1回責0封 (セーブ相当)
 6月21日 西宮球場 阪急第1戦 先発 9回完封 〇
 6月21日 西宮球場 阪急第2戦 救援 0.2回0封
 6月28日 平和台球場 阪急戦 先発 9回完封 〇
 6月30日 平和台球場 大毎戦 救援 2回完封 〇

 12試合に登板、4先発8救援で8勝3セーブ、63回を投げて自責点2、防御率0.29。今の投手ならシーズンの半分で達成するような、空前の記録だった。

 稲尾は7月11日の南海戦で20勝、8月27日の大毎戦で30勝。この時点で西鉄は40試合を残していた。

 西鉄球団が日本野球連盟に「シーズン最多勝記録は、何勝か?」と問い合わせたところ「1939年にビクトル・スタルヒン(巨人)、1942年に野口二郎(大洋)が上げた40勝だ」との返事が来た。それを聞いた稲尾は記録更新に闘志を燃やした。

最終的にスタルヒンとの「タイ記録」になった真相

 10月1日、平和台球場での阪急ダブルヘッダー第1戦に先発して38勝を挙げ、59年南海の杉浦忠が挙げた史上4位タイの記録に並んだ稲尾は、続く第2戦でも救援で勝ち投手となり、あっさりと40勝に王手をかけた。

 メディアも「大記録達成はいつか?」と注目するようになったが7日の平和台球場近鉄戦で40勝、そして翌8日、平和台球場の東映とのダブルヘッダー第2戦に先発した稲尾は9回自責点1で完投し、19年ぶりに記録を塗り替える「シーズン41勝」を達成。2万人の大観衆が稲尾を祝福し、スポーツ紙は大々的に稲尾の快挙を報じた。

 この年、稲尾は1955年に国鉄の金田正一が記録した「シーズン350奪三振」のNPB記録にも迫っていた。そこで41勝を達成後も2試合に登板し、1勝1敗、金田の記録を抜く353奪三振もマークした。

 しかし、シーズンが終了してからスタルヒンの勝利数が問題視された。スタルヒンは1939年の時点では「42勝」とされたが、のちの基準では勝利と見なされない試合が2つあり、40勝に修正されていた。

【次ページ】 先発、リリーフで“2人分のエース”の働き

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