革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

「この話で喜ぶ人はいない」が…野茂英雄メジャー挑戦30周年の今だから“真相”を関係者に訊く!「1994年の近鉄」野茂ラストイヤーに何が起きていたか

posted2025/05/02 11:03

 
「この話で喜ぶ人はいない」が…野茂英雄メジャー挑戦30周年の今だから“真相”を関係者に訊く!「1994年の近鉄」野茂ラストイヤーに何が起きていたか<Number Web> photograph by Koji Asakura

結果的に野茂英雄のラストイヤーとなった「1994年の近鉄バファローズ」に何が起きていたのか…メジャー挑戦30周年に番記者が改めて迫る

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Koji Asakura

1995年5月2日、野茂英雄がメジャー初登板を果たしてからちょうど30年。イチロー、松井秀喜、松坂大輔らが続いたその道は今、大谷翔平という存在につながった。だが、野茂の渡米はどうして可能になったのか? すべてがはじまった前年、1994年の近鉄バファローズの関係者たちを、当時の番記者が再訪。今だからこそ語れる証言で、「革命前夜」を描き出す巨弾連載!〈連載「革命前夜〜1994年の近鉄バファローズ」第1回/つづきを読む

 これから「1994年の近鉄バファローズ」を描いていく。

 時の首相は、細川護熙から羽田孜、村山富市へと、その年だけで3人も代わるという激動の政治状況の中、6月には初めて1ドルが100円を割り、その円高基調は後の日本経済に大きな影響を与えることになる。オウム真理教による「松本サリン事件」は6月、関西国際空港が開港したのが9月、作家の大江健三郎がノーベル文学賞を受賞したのは10月のことだ。

 10年ひと昔。ゆえに“3昔前”の出来事になるが、令和の新時代に入った今も、少なからず、日本の社会や文化に、何らかの影響を残している感がある。そして、答えを知った上で振り返っての“まとめ”になるのは承知の上だが、1994年は、日本のプロ野球の歴史において、まさに“激動の前触れ”ともいえる、エポックメーキングな年でもあった。

メジャー挑戦など「無理」な時代

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 野茂英雄は、翌1995年にロサンゼルス・ドジャースへ移籍し、全米に、いや、日米をまたいでの「トルネード旋風」を巻き起こすことになる。その前年となる1994年は、野茂にとって、日本での“ラストイヤー”になった。

 当時の風潮は、メジャー挑戦といえば「そんなことは無理」——。

 その含意は、日本人がメジャーで通用するはずがないという、能力への疑問がまず先に立った。さらに、メジャーに行くためのルートもなければ、移籍のためのルールすらも整っていない。その“ないないづくしの通説”がそのまま、日本でのメジャー観でもあった。

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