酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「日本シリーズ4連投、3年連続30勝やシーズン42勝」は知ってるが… 神様、仏様、稲尾様の“光るスライダーと意外な日本記録”とは
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKyodo News
posted2022/02/23 11:01
1958年日本シリーズを前にした稲尾和久と長嶋茂雄。このシリーズで「神様、仏様、稲尾様」の言葉が誕生する
しかし翌1962年3月、コミッショナー事務局は「あとから見ておかしなものであっても、任された記録員の決定はみだりに変えるべきではない」という結論に達し、スタルヒンを「42勝」と再度認定している。稲尾和久の記録はタイ記録になってしまった。
稲尾の記録更新への執念はすさまじく、41勝を記録した日にはマネージャーを通じ「記録達成は間違いないですね」と確認したくらいだ。「42勝がタイ記録だとわかっていたら絶対に勝ちに行ったのに。泣くに泣けなかった」と稲尾は述懐している。
先発、リリーフで“2人分のエース”の働き
この年の稲尾の投手成績を先発、救援に分けると以下のようになる。
先発
30試24勝5敗 258.1回 率1.67
救援
48試18勝9敗11S 145.2回 率1.73
先発、救援どちらでも今の基準では規定投球回数に到達し、最多勝、防御率1位である。全く大げさでなく、稲尾は今のエース級の投手2人分の仕事をしていたと言える。
稲尾の空前の活躍にもかかわらず1961年の西鉄ライオンズは3位に終わる。
稲尾以外の投手の成績はすべて合わせて39勝42敗。稲尾一人が光彩を放った、西鉄ライオンズ王朝末期の風景だった。<第3回に続く>