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「まさかのセンバツ落選」は祝賀ムードの中で…19年後、青森山田元エースが“甲子園初出場”を果たすまで 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byRyuki Matsuhashi

posted2022/02/22 06:00

「まさかのセンバツ落選」は祝賀ムードの中で…19年後、青森山田元エースが“甲子園初出場”を果たすまで<Number Web> photograph by Ryuki Matsuhashi

失意のセンバツ落選から19年後、2016年センバツで甲子園初出場を果たした兜森崇朗監督(青森山田)

「お前たちが強くなって勝ち上がっていけば、東北大会の決勝でまた対戦することになるはずだ。そこで勝てる力がお前たちにはある」

 県大会の3位決定戦で勝利し、東北大会出場を決めた青森山田は、監督の予言通り決勝戦で再びライバルと対峙し、5-0で勝利した。

センバツ選考漏れから19年後…

 センバツ発表当日は選ばれるまで少しの不安はあったが、安堵のほうが強かった。準優勝の八戸学院光星も代表となり、この時代にはもう、同県の高校が一般選考で選出されることも珍しくはなくなっていた。

 選手時代に選ばれるはずが、選ばれなかったセンバツ。その夢舞台を監督として達成することができた。周囲は19年前の記憶を掘り起こし、兜森も当時のことを聞かれたという。一連の報道を受け、今は亡き祖父から「高校野球は選手がやるもんだぞ」と核心を突かれ、「監督がでしゃばっちゃダメだな」と兜の緒を締め直したと振り返り、笑う。

「私にとっては運命的なのかもしれませんが、選手の頑張りに感謝しかないんですよね」

「やっぱり、諦めないことが大事」

 監督として初出場となった16年のセンバツは初戦敗退だったが、翌17年の夏には自身の甲子園初勝利を挙げた。42歳の青年監督は、今では苦い経験をも正面から受け入れられる。

 辛く、悲しく、絶望も味わった。だからこそ、兜森の指導者としての理念はブレない。

 単純明快。選手たちに「高校野球をやってよかった」と思わせることだ。

「子供たちが主体性を持って野球に取り組みながら、成功体験を得るために勝利を目指していくというか。相反する部分はあるかもしれませんけど、これを融合させることによって、子供たちは『辛いこともあったけど、一生懸命、努力した。3年間、頑張った』って充実感を得られると思うんです」

 北国特有の朴訥な口調に温かみが生まれる。「私自身、十分すぎるくらい野球から多くを与えてもらいましたから」と兜森が言った。

「大学時代に指導者を目指していなければ、甲子園に行けることもなかったでしょうし。やっぱり、諦めないことが大事なんでしょうね、人生というのは」

 絶望してもチャンスが断たれたわけではない。目的を失っても希望を見出すことはできる。兜森崇朗というひとりの男の生き様が、俯く人たちに優しく、力強く訴えかける。

 諦めない限りドラマは続く、と。

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