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口癖は「目先の一勝より、馬の一生」 世界が認めたトレーナー藤沢和雄70歳がカジノドライヴの米GI挑戦をあっさり諦めた理由
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2022/02/19 11:02
2009年のフェブラリーSで2着に好走した際のカジノドライヴ
現地のトップジョッキーも「スペシャルクラス」
「同じオーナーのシャンパンスコールとスパークキャンドルの3頭で遠征する事にしました」
こうしてアメリカ入りすると、まずはスパークキャンドルと共にピーターパンS(GII)に出走。出遅れながらも早めにリカバリーすると、最後の直線は独擅場。手綱を取ったK・デザーモ騎手がターフヴィジョンを見ながら早々に抑えつつも2着に5と3/4馬身差をつけ、ゆうゆうと先頭でゴールに飛び込んだ。
「彼はスペシャルクラスだね」
日本調教馬として初めてアメリカダートGIIを制したパートナーに、現地のトップジョッキーであるデザーモはそう言った。
こうしてベルモントSに駒を進めたカジノドライヴ。先述した通り兄姉が同レースの勝ち馬で、同馬もこれで2戦2勝となったが、決して主役に躍り出たわけではなかった。この年の米3冠競走はビッグブラウンを中心に回っていた。ケンタッキーダービー(GI)とプリークネスS(GI)をいずれも楽勝。史上2頭目となる無敗の3冠馬へ王手をかけていたのだ。
まさかの“ヒール”扱いに…
本来、アメリカ競馬ファンの事を考えての里帰りとなったカジノドライヴだが、新たなアメリカンヒーローの誕生を願うファンの前では図らずも歓迎されない存在となってしまった。偉業に待ったをかけるためにわざわざ日本からやってきたヒール(悪役)になってしまったのだ。
そこで日本の伯楽は考えた。厩舎には夜警を雇い、万が一に備えた。更に、馬房前に掲げるカジノドライヴのネームプレートを、スパークキャンドルとシャンパンスコールとシャッフル。禁止薬物を混入されるような事があっても、カジノドライヴが被害を受ける確率が少しでも低くなるように手を打ったのだ。
また、この中間にはこんな事もあった。ピーターパンSの際、カジノドライヴはパドックで尻っ跳ねをしたため、競馬場側からスクーリングを義務付けられた。そこで指定された通りスクーリングをしたのだが、その後、再度競馬場側からお達しがあった。
「レース開催日の、レースとレースの合間にスクーリングをし直すように」
今度はそう指示されたのだ。
しかし、藤沢調教師は首を縦に振らなかった。1回目の際に言われていればそうしたが、そこで言わなかったのは競馬場側の落ち度であると、毅然とした態度で伝えたのだ。
「落ち着いているようなら指示に従いました。ただ、スタッフの話だと、1回目のスクーリングの時に少しイライラする素振りを見せたらしいので、開催日に再度、連れて行くのは良くないと判断しただけの事です」
だから主催者サイドのリクエストでも断固として断った。海外競馬に慣れていない陣営だったら黙って従う事になったかもしれないが、経験豊富な伯楽だからこそ、ここはきっぱりと意見を通したのだ。