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銀メダリスト梶原悠未(24歳)は“パリで金メダル”と“筑波大の教授”を目指す…「夢は何? 目標は? が家族の日常会話でした」 

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樫本ゆき

樫本ゆきYuki Kashimoto

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posted2022/02/18 17:01

銀メダリスト梶原悠未(24歳)は“パリで金メダル”と“筑波大の教授”を目指す…「夢は何? 目標は? が家族の日常会話でした」<Number Web> photograph by KYODO

東京五輪自転車・女子オムニアムの銀メダルを獲得した梶原悠未(24歳)。パリで金メダルを目指しながら、筑波大学大学院ではレース戦術を研究する彼女に文武両道の半生を語ってもらった

梶原 お正月に家族の恒例行事があって、お年玉をもらう前に子どもたちが必ず1年の目標を家族の前で宣言するんです。目標を口に出して宣言することで、自覚だったり、本気の覚悟が生まれるのだと思います。その目標のためにどういう練習をしたらいいか逆算して1年の計画を立てました。「夢は何?」「目標は?」が家族の日常会話でした。

――幼少期から、有言実行を繰り返してきたのですね。

梶原 お年玉をもらわない年齢になってもこの癖がついていたので、大学生になってからも、短・中・長期の目標を立てて達成していけました。16年ごろに「東京オリンピックで金」という目標を立てて、逆算して(五輪の)前の世界選手権で優勝する。そのために17年W杯で優勝する、とトレーニングプランを立てて練習してきました。

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――その間、予定外の出来事は起こらなかったのですか?

梶原 起こりました(笑)。海外遠征の帰国後に、疲れでじん麻疹が出たり、リンパが細菌に感染して寝込んだり。落車して打撲して自転車に乗れないこともありました。そういう時は軌道修正して、試合当日に最善の準備を迎える自分を想像しながら「自分への手紙」を書いてモチベーションを上げることもありました。

パリで金。そして将来は「大学教授」を目指す

――勉強もスポーツも、どちらも頑張れるその原動力はなんですか?

梶原 最初は「母に褒められたい、喜んで欲しい」でした。そこから考えを発展させて「将来、誰かのために役立つ、誰かが喜んでくれる」へと変わりました。「誰か」というのは、応援してくださる地域の方だったり、友人でもあります。次の夢があるので、それも原動力になっています。

――その夢は今聞いてもいいですか?

【次ページ】 コーチは“自分”、母がサポート

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