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オリンピックPRESSBACK NUMBER
銀メダリスト梶原悠未(24歳)は“パリで金メダル”と“筑波大の教授”を目指す…「夢は何? 目標は? が家族の日常会話でした」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byKYODO
posted2022/02/18 17:01
東京五輪自転車・女子オムニアムの銀メダルを獲得した梶原悠未(24歳)。パリで金メダルを目指しながら、筑波大学大学院ではレース戦術を研究する彼女に文武両道の半生を語ってもらった
梶原 幼少期から母に勉強もスポーツもどちらも両方がんばれと言われていたので、その形に近づけてうれしい気持ちです。うちは特別なスポーツ一家というわけではなく、普通の4人家族(1歳下に弟)。保育士だった母(有里さん)が幼少期からいろいろな習い事を勧めてくれて、常に高い目標と、無限大の選択肢を与えてくれました。水泳、ピアノ、書道、公文と1週間が忙しかったですが、学校以外に、クラブで友達ができ毎日すごく楽しみでした。
お年玉をもらう前の「宣言」が習慣に
――その中でも1歳から始めた水泳で中学時代に全国大会出場。水泳で五輪を目指す道もあったと思いますが、高校の部活で自転車に転向したのですね。
梶原 実は水泳をやめて自転車に転向した、という考えは私の中には全くなくて。水泳にプラスして高校から自転車を始めたという感じでした。高校時代は選手コースで自転車をやり、部活が終わった後、クラブチームへ泳ぎに行くという感じだったので、やめて転向ではなく、徐々に移行したという形です。水泳は今もトレーニングに生きていますし、のちに筑波大学の推薦入試を受験するとき、実技試験で水泳を選んで合格できました。
――なるほど「二足のわらじ」だったわけですね。お尻を叩いて頑張らせた母・有里さんに対しては、抵抗などはなかったのですか?
梶原 なかったです。母はすごく絶妙なタイミングで話を聞いてくれるので、反抗期もありませんでした。母とは小学生の時から、毎日いろいろなことを話してきました。その日学校で何があったかとか、友達と何を話したかまで。不安なことをその都度話してきたので、反抗とかなく育ったのだと思います。母は保育士として私が高1のときまで働いていて、常に「夢を持つことが大事だ」といつも言っていました。
――子どものうちからなぜその言葉を理解し、実践できたのでしょうか?