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「ヨーロッパの人も見習ったほうがいい」フェルスタッペンも認める、ホンダを成功に導いた日本特有の“集団主義”とは
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2022/02/11 11:00
チャンピオンになる前からホンダへのリスペクトを度々表明してきたフェルスタッペン。信頼関係は当初から強固だった
しかし、この集団主義を確立させるためには時間が必要となる。復帰後のホンダはパワーユニットの技術的な挑戦で苦労するなか、個人主義が主流のF1の世界で集団主義で戦おうとしていることへの批判も少なくなかった。個人主義では成功するための鍵となるのは優秀な人材をヘッドハンティングすることだが、その手法は集団主義では必ずしもうまくいかない。
それを理解できず、5年あった契約を早期に解消したのがマクラーレンだった。一方、90年代後半にのちにF1ドライバーとなるラルフ・シューマッハのマネージャーとして日本で生活した経験があるトロロッソ(アルファタウリの前身)のフランツ・トスト代表は、「時間を与えれば、ホンダは必ず復活する」と信じ、18年からパートナーを組んだ。
トストの読みは、当たった。3年間の経験を積んだホンダは4年目以降、徐々に本領を発揮。レッドブルと組んだ5年目の19年には、ホンダの集団主義は完全に機能し始めた。フェルスタッペンが「ホンダのメンタリティは、ルノーとは大きく異なっていた。ルノーが悪いというのではなく、ホンダはまったく違っていたんだ。それくらい両社のメンタリティには違いがあった。ホンダは全員がプロフェッショナルで、よく組織されていた」と語っていたのは、決してお世辞ではなく、本音だった。
ヨーロッパ人が見出した集団主義の効果
そのホンダ式集団主義は21年に見事に開花した。ホンダのスタッフたちが涙を流して喜ぶ姿を見たフェルスタッペンは言う。
「ヨーロッパの人たちも、彼らのメンタリティをもう少し見習ってもいいと思う」
それはフェルスタッペンだけでなく、ホンダとパートナーを組んでいたレッドブル、アルファタウリのスタッフたちも同感だった。だから、彼らは21年シーズン限りでパワーユニット・サプライヤーとしてのF1参戦を終了したホンダと、22年以降も新たな道を歩み始める決断を下したのである。