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《命日》「その一球に根拠はあるのか?」「相手を褒め殺しにして…」野村克也が側近に伝授していた「野球は確率」の真相 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byKyodo News

posted2022/02/11 11:01

《命日》「その一球に根拠はあるのか?」「相手を褒め殺しにして…」野村克也が側近に伝授していた「野球は確率」の真相<Number Web> photograph by Kyodo News

1993年日本シリーズ、第7戦まで続いた激闘の末に宿敵・西武を下し、胴上げされる。

「ID野球」という名前は気に入っていなかった。

 松井からの提案に対して、野村は乗り気ではなかったという。長年、その理由がわからなかった。しかし、後年になって松井はその理由に思い至るようになった。

「答えは阪神時代のスローガンにあったんです。野村さんが阪神の監督に就任したときのスローガンを覚えていますか? もう今では忘れ去られてしまっているけれど、《TOP野球》というものでした」

 '98年限りでヤクルトを退団した野村は、翌'99年から阪神の監督に就任する。その際に彼が掲げたのが「TOP野球」だった。

T……Total

O……Object Lesson

P……Process

「トータル」とは気力、体力、知力などの総合的な力、「オブジェクト・レッスン」とは実地訓練、実戦教育、そして「プロセス」とは過程重視のことだった。

「過程を大事にしながら日々練習をして、試合という実戦訓練を通じて、トータルな人間性を高めていく。それが野村さんの考える理想のあり方だったんです。野村さんは『人作り、組織作り、試合作り』と、いつも言っていました。つまり、ID野球というのは、あくまでも試合作りに必要な要素の一つで、単に試合に勝つことだけを指していました。だから野村さんはID野球というスローガンをあまり気に入っていなかったのだと気がついたんです」

「ただ勝てばいい」とは対極。

 野村が目指していたのは、「ただ勝てばいい」というものではなかった。日々のたゆまぬ努力とペナントレースという過酷な実戦を通じて、総合的な人間性、人間力を高めていくもの。現役引退後も豊かな人生を歩むための規範となるものだった。だからこそ、「ID野球」というのは、野村にとってはあくまでも目指すべきゴールの一過程でしかなかった。このとき、「ID野球」に続いて、「TOP野球」というフレーズを考案したのも松井だった。

「ID野球のことを気に入っていないことはわかっていたので、今度は頭をひねって必死に考えました。そして、《TOP野球》という言葉を伝えたら、『いいじゃないか』って言ってもらえましたね(笑)」

【次ページ】 ヤクルト時代は特別だった。

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