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「直球がこめかみに直撃、ヘルメットが真っ二つ」「試合後の1、2カ月、ボロボロでした」作新学院・江川卓17歳、対戦相手に刻んだ“凄まじい爪痕”
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2022/03/31 06:01
1973年センバツの江川卓。当時17歳の「昭和の怪物」は甲子園を揺るがすピッチングを見せた
「合気道の住田先生という方がいましてね。宿舎にふらっと来て、泊まっていくんです」
広島で道場を開いていた住田芳寿は、知る人ぞ知る「気」の達人であり変人だった。
楠原は練習試合でひざの靱帯を「1本外してしまって」、全治3カ月の診断を受けたことがあった。その時に道場に連れて行かれ住田の治療を受けると、靱帯が元の位置に収まり、一発で完治した。それ以来、野球部員の間で住田は“一発屋”と呼ばれていた。精神に働きかける住田のミーティングは、不思議と心に染みたと楠原は言う。
「自分からは攻めない合気道らしいというか、江川相手に勝とうと思うなというお話でした。相手がゼロでうちもゼロだったらそれでいいと。そして最後に、『選手14人全員の気を江川に向けろ』って言うんです。1対14でケンカしたらどうなる、そら14のほうが勝つやろうが、とかってね」
4月5日の準決勝第1試合、スコアには三振と四球がずらりと並ぶ。8つの四球を江川から選んだ事実からは、“60分の1”作戦が着実に実行されたことがうかがえる。
試合が動いたのは5回。作新が1点を先制したが、その裏、すぐに広商が追いつく。四球で出た走者が、ポテンヒットの間に生還。新チーム結成以来続いていた江川の連続無失点は139イニングで途切れた。
8回裏には先頭の金光が四球を選んで出塁。3番の楠原が内野安打でつないで2死一、二塁の好機を迎えた。金光は直感した。
「足で勝負するのはここしかない。カウントが1-1になったところで監督を見たら、ダブルスチールのサインが出ました」
小倉捕手の送球は高く逸れて、外野の芝に転がった。金光は俊足を飛ばして三塁を蹴り、頭から本塁に滑り込んだ。
「球場全体が静まり返りました。歓声はあったのかもしれないけど聞こえなかった」
江川に勝ったのに準優勝、その後も勝てない時期が
江川が敗れるかもしれない。目の前の光景を観客が理解するのにわずかな時間を要した。そしてそれは、現実となる。
テキサスヒットと内野安打の被安打2で2失点。11三振を奪うも、徹底してボールを見極められ、球数は5回で100球に達した。非力だが勇敢な主人公にスネを斬られて斃れる恐竜のような負け方だった。
横浜高校との決勝戦で9安打を放ちながら1点しか奪えず優勝を逃した広商は、その後しばらく勝てなくなった。楠原が言う。
「決勝は抜け殻のようでした。それからは遠征に行っても、6月ぐらいまで勝てなかった。気分の高まりがまったくないんです」
江川との対戦後の北陽も、酷似した状況に陥っていた。藤田が振り返る。
「あれから1カ月か2カ月、誰も打てへんし、試合にも勝てませんでした。ボロボロでした。当時17歳とかでしょ、レベルが違いすぎてショックやったんやと思います」
怪物と対峙した44年前の少年たちに、見えない爪痕は深く刻まれていたのだ。