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「直球がこめかみに直撃、ヘルメットが真っ二つ」「試合後の1、2カ月、ボロボロでした」作新学院・江川卓17歳、対戦相手に刻んだ“凄まじい爪痕”
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2022/03/31 06:01
1973年センバツの江川卓。当時17歳の「昭和の怪物」は甲子園を揺るがすピッチングを見せた
「周りからはほめられたんだ。三振10個だけだよって。でもいま思えば、江川くんは遊んでましたね。余裕がありました」
関東大会で作新学院は優勝した。連続無失点を110イニングまで伸ばした江川の前に、甲子園への重い扉がついに開いた。
三振した1番打者の顔が真っ青なんですわ
翌年3月25日、大阪・毎日ホール。近畿代表・北陽高校の四番、藤田寛は組み合わせ抽選の会場で江川を初めて意識した。
「うちのキャプテンが作新の隣のクジを引いたら場内がわあっとどよめいたんは覚えてます。記者の人に『江川くんと対戦やけど』って言われて、それで初めて江川の存在を知ったような記憶がありますね」
チーム打率.336は出場校中最高。1年後に近鉄に入団する好投手有田二三男を擁する北陽は、優勝候補の一角だった。
120人以上が入部して7~8人しか残らない熾烈な競争を勝ち抜いた自負があった。大阪の雄として、その四番を張る者として、いくら怪物が相手でも、そう簡単に負けることなど考えられなかった。
だが、開会式が始まる前から圧倒された。
「ぼくら初日の1試合目やったんで、開会式前にグラウンドで練習したんです。その時に江川くんがベンチ前からバックスクリーン手前にいるキャッチャーのとこまで遠投してて。山なりじゃなくて糸ひいたみたいにしゅーっといくんですね。『あんなんマウンドから放られたら……』っていうのが第一印象でした」
プレイボール直後、ベンチで見た仲間の「顔」を藤田は忘れられない。
「冠野くんていうキャッチャーが1番で。あとから聞いたら、OBの方に『三振してベンチに帰ってきても、速いとは絶対に言うな』って言われとったらしいんです。実際、三振して帰ってきて『どうやった?』って聞いたら、口では『速ない』って言うんですけどね、もう顔が真っ青なんですわ。それ見て、これはあかんでって思いました」
「作新の捕手・小倉の手見たけど気持ち悪いわ」
語りながら、藤田の記憶がまた一つ蘇る。作新の小倉偉民捕手にまつわるものだ。
「そうそう、冠野は『小倉の手見たけど気持ち悪いわ』とも言うてました。『おれの手も有田の球を受けてるから腫れてるけど、小倉の手、こんなもんじゃないで』って」
初回3者三振のあと、2回の先頭打者として藤田は江川との初対戦の打席に入った。
「江川くんがごっつ近くに見えました。普通はグラウンド全体が見えて、その中にピッチャーがおる感じやけど、江川くんしか見えへんような威圧感がありましたね。球はとにかく速かった。ダンプカーがF1のスピードで走ってくるっていうんかなあ」
バットを長く持ってコンパクトに。打率4割超の主砲は指示どおり鋭く振り抜いたが、白球は無傷でミットに吸い込まれた。
続く5番の有田が江川の投じた23球目を初めてバットに当てた。ただのファウルに観衆がざわめいた逸話は語り草だ。
藤田はその歓声を覚えていない。次元の違う投球にしだいに現実感が薄れていった。