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日本で“消息不明”となった名馬・ファーディナンドが遺したもの…元競走馬たちと五輪選手が目指す未来《GI馬も繋養する新天地》
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byRyosuke KAJI
posted2022/02/04 11:00
2021年10月、オールド・フレンズ・ジャパンに導入されたGI馬・デルタブルース
サラブレッドの“その後”の消息が途絶える?
中俣と死別した後、原田は独立して岡山県蒜山の地に乗馬クラブを創設する。その後、縁あって出会ったエジスターという外国産乗用馬とともに2015年の全日本馬場馬術選手権を制すると、2016年のリオデジャネイロ五輪、2018年のトライオン世界選手権に出場するなど一躍国内外で活動する日本のトップライダーに上り詰めた。
2020年。原田は東京五輪を目標とし、出場権の獲得のため毎週のように国際大会が開催されるアメリカ合衆国・フロリダ州に飛んだ。そしてその現地滞在中に旧知の間柄である澤井靖子と会うことに。澤井の父はミルキーウェイを育てた澤井孝夫。原田が杉谷乗馬クラブに勤務していた当時、大学馬術部に所属していた澤井と合宿で知り合った頃からの縁だった。
現在、澤井はダーレー・ジャパンの従業員。ゴドルフィン(UAEの競走馬管理団体)では日本法人のダーレー・ジャパンを含め、競走馬引退後のサラブレッドの処遇改善のプロジェクトを世界6カ国で進めていた。競走成績の優れたサラブレッドであってもその後の消息が途絶える例は日本だけに限ったことではなく、全世界的にその取り組みが必要とされる背景があった。2014年、日本の担当者を決める時に乗馬の経験があるという理由で澤井が指名された。澤井は世界中の引退競走馬の処遇を視察して回り、国ごとの取り組みの違いやそれぞれの課題を知り、ダーレー・ジャパンとしての取り組みについて模索していたところだった。
原田は昔話や近況報告をし合っていた中で、澤井による日本の引退競走馬の取り組みについて知る。そして、訪れていた当地にゆかりのあるオールド・フレンズの活動のことも耳にすることになる。
日本に来た名馬が消息不明となった「ファーディナンド事件」
オールド・フレンズという団体ができるまでには、こんな経緯がある。
1986年、アメリカ合衆国のクラシック競走の第一冠・ケンタッキーダービーでファーディナンドという馬が優勝した。翌年のブリーダーズカップ・クラシックを優勝し、1987年のエクリプス賞年度代表馬に輝いた名馬である。競走馬引退後は種牡馬としてアメリカ合衆国で繋養され、1994年に日本へ輸入されることとなった。1980年代の日本はバブル最盛期。急成長した経済力を背景に欧米の種牡馬を次々と導入していた。しかし、種牡馬として日本で成績を残せなかったファーディナンドは2003年頃に消息を絶ってしまう。思いもよらぬ名馬の末路が報じられたことは、欧米の競馬界に衝撃を与えた。
ファーディナンドが日本で消息不明となったと報じられたことに触発されたのが、当時記者をしていたマイケル・ブローウェン。記者引退後にケンタッキー州のレキシントンの広大な土地を借り、2003年にオールド・フレンズ(Old Friends Equine)を設立。功労馬が余生を過ごす場所を作り上げていった。特に米二冠馬のシルヴァーチャームの繋養は有名で、他にも日本で種牡馬生活を過ごしていたウォーエンブレムなどを引き取っている。マイケルが作り上げたこのオールド・フレンズは次第にアメリカ国内でも有数の観光地となり、年間2万人もが訪れる施設となった。
原田「日本の馬術界は直接的な成果を求めすぎた」
原田は2015年以降、ドイツにも拠点を置き現地のトレーナーから技術指導を受ける機会を得た。そして、リオデジャネイロ五輪、トライオン世界馬術選手権で世界との壁を目の当たりにする。これらの挑戦を経たことで確信めいた危機感と密かな使命感を抱き始めていた。
近年の日本の馬術界は外国産乗用馬の導入により競技レベルの向上を目指してきた。その成果は現れ、2018年には世界選手権の総合馬術で団体4位、2021年の東京五輪では総合馬術の戸本一真が個人4位、障害馬術の福島大輔が個人6位という成績を収めるに至る。原田自身も外国産乗用馬のエジスターとともにリオデジャネイロ五輪、トライオン世界選手権に出場した。確かに日本人による国際大会の成績は向上した。しかし、馬とともに競技を行う技術を得た一方で、馬を調教し成長させる技術がそれに追いついていないことに原田は気づいた。
「近年の日本の馬術界は直接的な成果を求めすぎた。もう一度基礎を固める時期に来ている。日本人によるチームでもう一度『馬作り』から進めていかなければならない」