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全日本選手権優勝で再始動したバドミントン・奥原希望が、それでも「スタートラインに立っていない」と語った理由

posted2022/01/16 11:02

 
全日本選手権優勝で再始動したバドミントン・奥原希望が、それでも「スタートラインに立っていない」と語った理由<Number Web> photograph by Itaru Chiba

東京五輪以来の実践となった日本選手権で貫禄勝ちともいうべき優勝を果たした奥原

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Itaru Chiba

 昨夏の東京五輪を終えて、選手たちはそれぞれに進路を探し求めてきた。大会での成績を受けて、即座に次のオリンピックへと目を向ける選手がいれば、第一線を退く選手もいた。そして時間をかけて、今も「これから」を考えている選手もいる。その中のひとりが昨年末に復帰を果たしたバドミントンの奥原希望だ。

 リオデジャネイロ五輪銅メダリストにとって2度目のオリンピックは、コロナの感染拡大がスポーツを取り巻く状況も左右する中、葛藤があっただろう。

 それでも「5年間の答え合わせをしてきます」と抱負を語って臨んだ東京大会。5年間という積み重ねた時間の答えとして導き出したかったのは、金メダルであったはずだ。しかしその結果は準々決勝敗退。試合のあと、奥原は涙が止まらなかった。

「答えを解きたかったけれど、それが永遠に解けなかったのはすごく悔しいです」

 五輪後、コンディションの影響でいくつかの大会を欠場。久しぶりの実戦が、12月25日から30日にかけて行なわれた全日本総合選手権だった。その復帰戦で奥原は優勝し、大会3連覇を果たした。

 いつもとは様相が異なる大会だった。同じ月に開催された世界選手権出場者がコロナの感染拡大による隔離期間強化で出場できなくなったからだ。そのため女子シングルスは山口茜、高橋沙也加、大堀彩らが不在だった。

 出場した奥原も万全の状態ではなかった。

 昨年9月、合宿中に右足を捻挫。10月には内視鏡の手術を受けていたという。それでも欠場ではなく出場を選んだ。初戦のあと、その選択の理由について話した。

第一人者の矜持と次世代への期待

「全日本総合選手権で(初めて)優勝したのが10年前。出場は今回で13回目です。毎回、先輩たちに立ち向かっていったあの緊張感は覚えています。そういった緊張感を今回参加しているジュニアの子たち、これからを背負っていく子たちにもっと感じてほしいし、タイトルを獲りたいと強く憧れを持ってもらいたいという思いがあります」

「(欠場という選択は)もちろんありました。万全でない中、出るリスクはもちろん承知の上ですが、今の自分ができることは結果以上にあるんじゃないか、このコートに立つ意味はもっとあるんじゃないかと思っているので、そこも見出しながら参加したいと思っています」

【次ページ】 パリへの3年を戦い抜く精神力

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