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旗手怜央の「よろしくない言葉」に家本政明がとった行動とは? 変化したレフェリングの質「一緒にいいゲームをしましょうよ」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byJ.LEAGUE

posted2022/01/13 17:01

旗手怜央の「よろしくない言葉」に家本政明がとった行動とは? 変化したレフェリングの質「一緒にいいゲームをしましょうよ」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

2002年から積み重ねてきた審判としてキャリア。さまざまな経験を積んだことで、レフェリングにも変化があらわれたという

 プライベートでは一つターニングポイントがあった。ベルリッツ・ジャパン代表取締役社長やドミノ・ピザ ジャパン代表取締役兼COOなど経営畑を歩んできた日本サッカー協会の須原清貴専務理事と交流を持つようになり、論理的思考とビジネス感覚に関心を抱いたことでグロービス経営大学院に入学した。レフェリング向上のためではなく、自分の価値を高め、自分の可能性を広げるためだった。

「須原さんに“ビジネスを体系的に学べば、いろんなことに活かすことができる”と教えていただいて、ビジネススクールに通うことにしました。クリティカルシンキングを学び、自分の思いや考えを論理的に整理したり相手によりわかりやすく伝えるために言語化したり可視化できるようになろう、と。そしてグロービスでは多くの人に出会うことができ、サッカー界の狭い人脈と価値観しかなかった自分の視界が一気に開けたんです。審判の競技規則や審判としての評価ばかり見ていた僕にとっては、大海に飛び出していくような感覚がありました。

 2016年に国際審判を退いたんですが、それまではJリーグだけじゃなくて海外もあったので時差ボケとも戦いながらレポートを書いたり、寝不足のままスクールに行ったりして大変でしたね。でもそれがまったく苦にならない。だって楽しくて仕方がないんですから」

 人脈と価値観を広げ、体系的かつ論理的な思考を深めていくなかでレフェリング自体に大きな変化があらわれていく。自分でも不思議だった。

「病気でサッカーを続けられなくなって、どうしても関わりを持ちたくてレフェリーを始めて、楽しくて面白いから続けてきたのに、それが職業になったらその気持ちが違うほうに向かっていった。サッカーが好きで、審判を始めた頃の気持ちを大事にしなきゃなって思うようになったんです」

“一緒にいいゲームにしましょうよ”

 明らかにレフェリングが変わっていった。

 競技規則に沿って厳格に、仏頂面で笛を吹いてきた人間が、極力プレーを止めなくなった。選手も観客も、そして自分もそっちのほうがサッカーを楽しめるからだ。ただ人間なのだから、自分のレフェリングにミスはちょくちょくある。それも受け入れる。選手がエキサイトしそうになったり、判定に不服があるという空気が伝わってきたりすれば、積極的にコミュニケーションを取った。

 2017年には退場処分の人違い(J2町田ゼルビアvs.名古屋グランパス)など問題視されるレフェリングはあったものの、一つひとつを向上のための肥やしにしていく。

 行き着いた境地は、こうだ。

 “レフェリーの言うことは絶対”と威厳を保とうとするのではなく、“一緒にいいゲームにしましょうよ”と言わば共創のスタンスに立つ。そうするとスムーズに流れていくのも、納得できた。だってみんなサッカーが好きで、ここに集まってくるのだから。みんなが楽しむためにレフェリーはどうあるべきか。自分のやるべきことがはっきりと見えた気がした。ルールファーストから“人間ファースト”になった。

【次ページ】 旗手怜央からの謝罪

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