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29連勝! 伝説の名馬を生んだのに13年連続赤字で…“18年前に消えた競馬場”、栃木県で愛された「足利競馬場」今は何がある?
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byKYODO
posted2022/01/14 11:03
1999年4月足利競馬場で。逃げ切って27連勝(当時の日本記録)を達成したドージマファイター
足利競馬場跡地には、新たに日本医療薬科大学という大学の開校が計画されていた。開校予定は競馬場廃止の5年後、2008年。しかし、開校のための費用として大学側が予定していた寄付が思ったよりも集まらなかった。約25億円の寄付を見込んだところがたったの約7億円ではさすがにどうにもならない。栃木県や足利市からの助成も予定されていたが、寄付金不足から求められた助成金はなんと14億円。これではさすがに……となって、大学誘致のお話は立ち消えとなってしまった。
そんな大学誘致計画が行ったり来たりしている間、施設が手狭でかつ老朽化していることで移転を考えていた足利赤十字病院の移転が決まる。赤十字病院の移転に関しては、足利市や栃木県だけでなくお隣の群馬県の自治体にも財政支援を求めたという。足利市は栃木県の西の端。群馬県東部とのつながりもあるから、ごく自然な流れだったのだろう。こうして2011年7月、競馬場跡地の西半分に足利赤十字病院が移転・開院している。
『全裸監督2』も撮影されたスタジオ
浮いたままになったのが大学誘致計画のあった東半分だ。少子化著しいこのご時世、なかなか足利という地方都市に大学が新たにというのは難しい。どうにもならない状況が続いていたようだが、そんな空き地に2019年、突如現れたのが足利スクランブルシティスタジオである。
このスタジオ、スクランブルという名の通り、渋谷のスクランブル交差点を原寸大で再現した巨大な屋外スタジオ。当初は約1年で解体する予定だったが、好評だったためにいまもって現役稼働中だという。ここで撮影された作品には、『サイレント・トーキョー』『全裸監督2』などがある。言われてみれば、広大な空き地をこうした屋外スタジオにするというのはよく考えられたアイデアなのではなかろうか。もちろん、訪れた時にはフェンスに覆われていて中はまったく見えなかったんですけどね。
つまり、ドージマファイターが走った伝説の競馬場は、いまや西が赤十字病院、東が巨大なロケセットに生まれ変わっているというわけだ。その外周をぐるりと回ってみたが、道も何もほとんど新しく整備されてしまっていて、「競馬場前」みたいな交差点やバス停も見当たらない。ここに昭和のオジサンが熱狂した競馬場があったんですよ! などと力説したって、誰も信じてくれないのではないかというくらいにすっかり別世界が広がっていた。
競馬場は渡良瀬川の河川敷にあった。だから、赤十字病院とスタジオの裏側は渡良瀬川である。そちらのほうには五十部運動公園という公園ができていて、ここは市民の憩いの場。競馬場でいうとちょうど向こう正面といったところだろうか。
この競馬場の向こう正面側の渡良瀬川の土手の上を、馬の気分にほんの少し浸りながら自転車で走る。遊具があったり野球場やフットサルコートがあったりして、河川敷にはよく似合う。
「リストラの星」でも救えなかった
戦後間もない1950年、カスリーン台風の災害復旧都市に指定されて公営競馬の開催が認められたことでスタートした足利競馬(1969年に移転)は、開催初年度から黒字経営。公営競馬が黒字になれば収益は主催者、つまり足利市の会計に繰り入れられることになっている。右肩上がりの時代には売り上げも絶好調で、1992年度までに総額22億1800万円が足利競馬から足利市へと繰り入れられたという。つまり、それだけ足利の町の発展に貢献してきたというわけだ。