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29連勝! 伝説の名馬を生んだのに13年連続赤字で…“18年前に消えた競馬場”、栃木県で愛された「足利競馬場」今は何がある? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph byKYODO

posted2022/01/14 11:03

29連勝! 伝説の名馬を生んだのに13年連続赤字で…“18年前に消えた競馬場”、栃木県で愛された「足利競馬場」今は何がある?<Number Web> photograph by KYODO

1999年4月足利競馬場で。逃げ切って27連勝(当時の日本記録)を達成したドージマファイター

 足利、そして渡良瀬川。そう聞けば、多くの人が思い浮かべるのは残念ながら足利競馬場ではなく森高千里『渡良瀬橋』に決まっている。実のところ筆者もそうだ。ずいぶん前、北関東で取材をした帰りに時間があったので足利に寄り道をして、夕暮れ時の渡良瀬橋を見たことがある。足利駅・足利市駅の少し西側にある橋が、『渡良瀬橋』の渡良瀬橋そのもの。橋のたもとにはボタンを押すとフルコーラスが流れる歌碑もある。ぼんやり橋と川を眺めながら聴いていたら、地元の高校生に怪訝な顔で見られたものであった。

 そんなつまり森高千里ファンの聖地ともいうべき足利を、今回はいちもくさんに競馬場へと馬を……ではなく自転車を走らせる。北関東は全国的に見ても有数のクルマ社会。それほど広い大通りでなくてもクルマの通行量は多く、安全運転を心がけながら県道67号線をまっすぐにゆく。

18年前に消えた「足利競馬場」、今は何がある?

 しばらくはいかにも地方の小都市の駅前商店街らしい街並みの中を走り、途中で北には足利織姫神社というなんだか7月7日に来ると良さそうな神社が見える。さらにまっすぐ進むと角の床屋と公衆電話。目もくれずに、足利駅から20分も走っただろうか。県道がJR両毛線をオーバークロスする陸橋を渡った先が、足利競馬場の跡地である。駅からだいぶ離れてはいるが、一本道なのでわかりやすい。

 足利競馬場の跡地。もう20年近く前に廃止された競馬場の後だから、面影はもちろん残っていない。新しく、つまり競馬場が廃止されてから整備されたのだろうと思われる立派な大通りと巨大な足利赤十字病院。そしてもうひとつ、病院の傍らの空き地のようなところにあったのが足利スクランブルシティスタジオという大型野外ロケセットだった。

 宇都宮でも高崎でもそうだったが、競馬場の跡地は再利用がなかなか難しいようだ。何しろ競馬場はとにかく広い。中央競馬のたとえば東京競馬場などと比べて半分以下の地方競馬場であっても、陸上競技場と比べると倍近くの広さになる。だから、スタジアムを建てましょう、といったってどうしても土地があまる。商業施設でも、としたって同じことだ。その上、こうした競馬場の廃止は2000年前後に全国各地で相次いだわけで、バブル期ならいざしらず、不況のご時世にノリノリで広大な空き地を開発しましょうというわけにもいかないのだ。

なぜ“大学誘致”に失敗したのか?

 そんなわけで、足利競馬場の跡地も調べてみるといろいろあったようだ。最初に計画されたのは大学の誘致。確かに広大な敷地は大学キャンパスにはぴったりだ。

【次ページ】 なぜ“大学誘致”に失敗したのか?

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