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原田哲也は最初から速かった…WGP1年目の天才的テクニック、98年カピロッシに奪われた王座、01年加藤大治郎との激闘 

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遠藤智

遠藤智Satoshi Endo

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photograph bySatoshi Endo

posted2022/01/08 11:00

原田哲也は最初から速かった…WGP1年目の天才的テクニック、98年カピロッシに奪われた王座、01年加藤大治郎との激闘<Number Web> photograph by Satoshi Endo

日本人として初めて、海外のファクトリーチームと契約した原田。メーカーの後押しなく、純粋にその速さを買われてのことだった

 このレースは、いまでもレース界の語り草であり、僕にとっても、忘れられないレースである。当時、自分が書いた原稿を読み返すと、あらためて悔しい思いが蘇る。そして、このときのインタビュー原稿で僕は「デビューの頃から彼は普通ではなかった」と書いていた。天才ライダーだった原田哲也のことを、最初の1行でうまく表現しているなと我ながら思う。

 日本人ライダーで天才だと思った選手は、他にも数人がいる。しかし、原田にはバイクを操る手法、速く走るためにはどうすればいいのか、そしてレース中の戦略など、本当に多くのことを教わった。それはいまでも若いライダーたちに伝授できることばかりであり、バイクを操る手法に関しては、原田の真似をできるライダーはいない。たとえ伝授したとしてもそれを実践できるライダーはいないのではないだろうか。そのテクニックを僕は一度『Number』に書いたのだが「えんどーさん、書きすぎ。あれは書いちゃだめだよ」と怒られたことが思い出深い。

天才ならではの緻密なテクニック

 それは161センチと小柄だった彼が生みだした独特なテクニックだった。マシンをバンクさせるときに彼は左手だけで行っていた。右コーナーでは、左ハンドルを手前に引くことでバイクは右に倒れる。反対に左コーナーでは左ハンドルを掌で押すことでバイクは左に倒れる。自転車やバイクに乗ったことがある人ならなんとなくイメージしてもらえると思うが、これはとても高度な技術を要するものなので真似をしないでもらいたい。

 つまり、マシンをねじ伏せるのではなく、二輪車の特性を左手だけで最大限活かす。これは子どものころから身体が小さかった原田が自然に身につけたテクニックであり、そのテクニックは、バイクの寝ている時間を短くし、素早くマシンを起こして加速するという走りにつながる。

 この走りでデビューシーズンに世界の強豪を驚かせ、そして、世界のトップライダーのひとりとしてチャンピオンを期待され続けた。あと一歩でチャンピオンというシーズンは98年以外にも何度かあった。とりわけ、日本が生んだもうひとりの天才ライダー加藤大治郎と熾烈なチャンピオン争いを繰り広げた01年のシーズンは、日本人にとっていまでも世界に誇れる激闘だった。

【次ページ】 チャンピオンならではのオーラ

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