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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「泣き虫で甘えん坊だった、あの宗が」今季大ブレイク・オリックス宗佑磨の“原風景”…恩師「信じられない。でも、夢あるよね」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph bySankei Shimbun
posted2021/12/27 17:06
2015年1月、オリックスからドラフト2位で指名された宗佑磨が入寮する様子。左手首にはガーナのお守りを持っている
証言1)インパクトのある選手。恩師「我々を驚かせる」
今季、パ・リーグ三塁手では最多の126試合に出場。守備率.977は楽天・茂木栄五郎(.984)に次ぐ2位だったが、記者投票で決まるゴールデン・グラブ賞では茂木(48票)や、ソフトバンク・松田宣浩(5票)を大きく上回る210票の票数を獲得した。刺殺91、補殺200という守備機会の多さもチーム貢献度の大きさを表している。
振り返ると10月12日にロッテ・小島和哉から打った涙の同点2ランや、日本シリーズ第3戦の先制タイムリーなど感動的なシーンがいくつもあった。水谷監督は宗のスター性をこう述懐する。
「良くも悪くも、インパクトのある選手。すごいプレーをして我々を驚かせる。高校時代も桐光学園の松井裕樹(楽天)、中川颯(オリックス)、横浜の伊藤将司(阪神)など、良いピッチャーからは必ず打っていました。ああいうところは生まれ持った天性。高校時代から変わっていませんね」
高2春の神奈川大会・準々決勝。当時、県内で誰も打てなかった桐光学園・松井のスライダーを安打した話は有名だ。2ストライクに追い込まれたあと、真っすぐのタイミングで打とうとした宗が、体勢を崩しながら払うように右手を使ってライト前に運んだ。
当時、松井の直球とスライダーの両方を安打にできる打者は宗しかいなかった。会心の当たりでなくても、ヒットになる。特に好投手から。宗はそういう不思議な強運に恵まれていた選手だった。
証言2)マイペースで内向的。当時コーチ「泣きべそかいていた宗が…」
よく言えばマイペース。悪く言えば闘争心がない。ギニア人ハーフという外見からチーム内で目立つ存在ではあったが、性格は内向的で、競争を好まない、心優しい選手だった。「周りを蹴落としてのし上がっていくタイプではない。甘えん坊で、誰かが一緒についていなければダメなタイプでした」と佐野教諭は話す。
2年秋。プロを見据えて外野からサードへコンバートした時の苦労話がある。軟式出身の宗は、球足が速くてバウンドしない硬式の打球を怖がり、強い打球が来ると足が動かなくなってしまっていた。楽しかった中学時代の野球を忘れ、それまでやっていたサードの守備がわからなくなっていたのだ。
「プロを目指すなら、サードだぞ。どうだ?」「無理です!」
「大丈夫。怒らないから」「いや、無理です」
コーチ陣とそんなやり取りが交わされた。
「キツイ練習をしてまでうまくなろうとは思わない」(宗)。当時の宗は今よりもっと自分が納得しない練習をしないタイプ。そこを、若いコーチ陣が付きっ切りでノックに付き合った。時にはやる気を引き出す声掛けをしながら、緩いボールを正面から正確に捕球する練習からスタート。慣れてくると、ボールに見立てた水風船を使って、卵をキャッチするような優しいハンドリングを習得させたり、スリッパや特製の板を手にはめて難易度を上げたキャッチング練習を行ったり、トランポリンを使って片足でジャンピングスローさせたりもした。
最初はできない自分に苛立ち、不甲斐なさに泣いていた宗だったが、遊び心あふれる特別ノックでどんどんうまくなり、半年後の3年春にはショートを守れるまでになっていたそうだ。毎日の朝練に付き合っていた大野健太元コーチは振り返る。
「スポンジのような吸収力などとよく言いますが、宗の場合はどんどん染み込んで味が深くなっていった。まるで『高野豆腐』のようでした。できなくて泣きべそかいていた宗が、最後はできた自分に泣いていましたよ」