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ヤクルト高橋奎二の日本シリーズを高校の恩師がこっそり初観戦「泣かせるな、コイツって思いました」試合後の直電と感謝の言葉 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/12/02 11:02

ヤクルト高橋奎二の日本シリーズを高校の恩師がこっそり初観戦「泣かせるな、コイツって思いました」試合後の直電と感謝の言葉<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2015年の夏、京都大会4回戦で敗れて号泣する龍谷大平安・高橋奎二の肩を抱く原田英彦監督

 ただ、ピッチングに関しては不安定だった。いい時はいいけれどダメな時はダメ。いわゆる“投げてみないと分からない系”だったという。

「奎二の2年夏の甲子園は初戦が開幕試合だったんです。夏の大会直前まで奎二の状態が上がって来なくて、先発を同じ2年生の別の投手にしたらいきなり5失点。やむなく奎二に交代するとビシビシに抑えた。奎二のピッチングはメンタルの部分が非常に大きいのでしょう。大舞台や人の多いところほど、力を発揮できる。それは今もそうなんだと思います。そんな中で徐々に体力もついてきているというのはあります」

 愛くるしい顔立ちに幼いしぐさを見て、原田監督は「赤ちゃん」というあだ名で呼んでいた。ただ、それは単に“子供っぽいから”という意味ではなかった。

「怒られてふてくされたりすることは一切なかったですね。見ても分かる通り、かわいらしい感じのいい子なんですよ。それでいて、フニャフニャしていて体ができていないので、そう呼ぶようになったんですよ」

 2年生の冬の進路相談までは、原田監督は当初は社会人野球へ行くことを勧めていたという。体制がしっかり整ったチームで、大人に見られながらプレーする方がいいと思ったのだ。だが、投げる度に評価を上げ、自身も「プロに行きたい」と明かすようになった。さらに3年春から状態がぐんぐん上がっていく姿を見て、本人の意思を尊重することにした。

 ただ、3年の夏の大会直前の練習試合で胸にピッチャーライナーが直撃したことがあった。診察の結果、幸い骨に異常はなかったが、どこかに影響があったのか、京都大会では状態が上がらないまま4回戦で敗れた。

 そしてプロ志望届を提出。体作りのアドバイスにも熱が入った。

「あの頃、ずっと思っていたのは辛抱強く育ててくれる球団に行って欲しいと。入団しても4、5年はかかる気はしていたので、じっくり見てもらえる球団にお世話になれたらいいなと思っていました。そういう意味では(ヤクルトで)良かったんじゃないかと思います」

【次ページ】 高津監督に感謝「ホンマに大事にしてくれている」

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